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三十一年式速射砲

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制式名 三十一年式速射砲
重量 908kg
砲口径 75mm
初速 487m/秒
最大射程距離 6,500m
高低射界 -5~+38度
発射速度 約3発/分
使用弾種 榴弾(炸薬800g)6.1kg
榴霰弾(弾子234)6.0kg
使用勢力 大日本帝国陸軍

三十一年式速射砲(さんじゅういちねんしきそくしゃほう)[1]は、日本陸軍明治31年(1898年)に制式砲とした大砲三十一年式野砲三十一年式山砲の2種類がある。著名な銃砲設計者である陸軍中将有坂成章が開発したもので、別名「有坂砲」といわれる。日露戦争での主力砲として活躍した。

口径は7.5 cm、射程は野砲が7,800 m、山砲が4,300 mとなっていた。日露戦争中に仰角の修正や防楯の装備等改良を加え、性能を向上させている。大砲としての性能は高く、特に砲弾の性能はロシア軍を凌駕していた。日露戦争の陸戦の勝利には、この大砲と二十八サンチ榴弾砲三十年式歩兵銃の貢献が大きかったといわれる。

本砲が「速射砲」と呼ばれたのは、初めて無煙火薬を使用したことにより、それ以前の黒色火薬による排煤作業が不要となり「速く撃てる」ようになったことに過ぎない。また、この砲は簡単な復座装置(砲車復座式:発砲の反動で砲車は後退するが、砲車に装着されたバネの力で元の位置に戻る)しか備えておらず、発射の反動で砲架が後退してしまうという欠点があった。従って、人力で砲架を元に戻してまた照準をやりなおさなければならず、速射砲といえども実際の射撃速度は1分間に2~3発と、あまり速くなかった。また、砲架をまっすぐ後退させることが前提の設計なので当然ではあるのだが、砲身の可動範囲は俯仰のみで、方向射界を与えるには、わずかの修正であっても砲架ごと向きを変える必要があった。日本陸軍が初めて本格的な駐退復座機を備えた火砲を導入するのは、三八式野砲の登場を待たねばならない。

脚注

  1. ^ 明治時代の陸軍の制式名称は、明治31年~45年までは採用した年号を漢数字2桁で表記し個々に発音していた。したがって正しくは三一式速射砲(さんいちしきそくしゃほう)という。

関連項目