レアル・オビエド
レアル・オビエド | ||||
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原語表記 | Real Oviedo Club de Fútbol | |||
愛称 |
ロス・カルバージョネス(Los Carbayones), オビエディン(Oviedín), ロス・アスレス(Los Azules、青) | |||
クラブカラー | 青と白 | |||
創設年 | 1926年 | |||
所属リーグ | リーガ・エスパニョーラ | |||
所属ディビジョン | セグンダ・ディビシオンB | |||
ホームタウン | アストゥリアス州, オビエド | |||
ホームスタジアム | カルロス・タルティエレ | |||
収容人数 | 30,500 | |||
代表者 | アルベルト・ゴンサレス | |||
監督 | パチェータ | |||
公式サイト | pattern_la1= 公式サイト] | |||
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レアル・オビエド(Real Oviedo Club de Fútbol)は、スペイン・オビエドに本拠地を置くサッカークラブチーム。2011-12シーズンはリーガ・エスパニョーラのセグンダ・ディビシオンB(3部)に在籍している。
1926年3月26日創立。ホームでは青色のシャツと白色のソックスを着用する。ラ・リーガ通算順位表では17位に位置する。同じアストゥリアス州内のスポルティング・デ・ヒホンとライバル関係にあり[1]、両クラブが同じディビジョンに属している時にはアストゥリアス・ダービーが行われる。
Bチームはクラブ創立当初のトップチーム名を使用していたが、1990年代前半にスペインサッカー連盟(RSFF)はリザーブチームの名前に独特な名称を使用することを禁じた。Bチームは2008年にレアル・オビエド・ベトゥスタに改名し、2010年からテルセーラ・ディビシオン(4部)に在籍している。
歴史
1926年、スタディウム・オベテンセと合併してレアル・オビエド・クルブ・デ・フトボル(Real Oviedo Club de Fútbol)が設立され、7年後の1933年に初めてプリメーラ・ディビシオン(1部)に到達した。当時としては画期的な、鋭いパスやワンタッチパスなどを用いて試合の主導権を握る戦術を採用し、1933-34シーズンからの3シーズンはリーグ戦上位に入る成功を収めた。攻撃陣はエミリン、ガレ、エドゥアルド・エレーラ・ブエノ、イシドロ・ランガラの4選手(いずれもスペイン代表であった)で構成され、他にはカスコやリカルド・ガリャルトらがいた。イングランド人のフレッド・ペントランド(Fred Pentland)監督時代に初めてハードな練習や体調管理などが行われ、1930年代から1940年代の攻撃陣はデランテラス・エレクトリカス(Delanteras Eléctricas、鮮烈なフォワード)と呼ばれた。ランガラはスペイン内戦でリーグ戦が中断する前に3シーズン連続でリーグ得点王(ピチーチ賞)のタイトルを獲得し、クラブはこの3シーズンの計62試合で174得点を挙げ、あらゆる得点記録を塗り替えた。しかしその後、クラブと選手が衝突してチームは崩壊した。ランガラは南米に渡り、エレーラとエミリンはFCバルセロナに、ガレはラシン・サンタンデールに、ガリャルトはラシン・フェロルに移籍した。1936年に勃発したスペイン内戦中にはグラウンドはプレーできない状態とみなされ、フランシスコ・フランコの軍隊はスタジアムを軍用廃棄場として使用した。1939年4月に内戦が終結し、同年にリーグ戦が再開されたが、1939-40シーズンはリーグ戦に参加しなかった。
1962-63シーズンには過去最高位タイの3位に食い込み、UEFAカップ出場権を獲得した。1978-79シーズンには1シーズンだけであるがセグンダ・ディビシオンB(3部)まで落ち込んだ。スペインで開催される1982 FIFAワールドカップに向けて、クラブの本拠地であるエスタディオ・カルロス・タルティエレが完全改修され、チリ代表を招いて行われたお披露目試合は0-0で引き分けた。1984-85シーズンのコパ・デ・ラ・リーガ(現在は存在しない)ではUDサラマンカ、ビルバオ・アスレティック、CFロルカ・デポルティーバ、CEサバデル、アトレティコ・マドリレーニョを破って優勝した。
1987-88シーズンには昇格プレーオフでRCDマジョルカを2試合合計2-1で下してトップリーグに返り咲いた。1988-89シーズンから1990年代前半にはリーグ中位に定着し、1990-91シーズンには6位となってUEFAカップ出場権を獲得した。1991-91シーズンに出場したUEFAカップでは1回戦でイタリアのジェノアCFCと対戦し、2試合合計2-3で敗れて大会から去った。1990年代後半はプリメーラ・ディビシオン残留がやっとのシーズンが続き、2000-01シーズンに18位となってセグンダ・ディビシオンに降格した。2002-03シーズンはセグンダ・ディビシオンで21位となってセグンダ・ディビシオンB(3部)に降格し、クラブは深刻な財政難に陥った。オビエド市からの支援制度の深刻な欠如は、選手への給料支払い不能という結果に終わった。2003年には強制的にテルセーラ・ディビシオン(4部)降格処分を下された。この点でクラブは潰れかけていたが、結局更生して再編成された。2シーズン続けてテルセーラ・ディビシオンで優勝し、2005年にセグンダ・ディビシオンB昇格を決めた。2007年には再びテルセーラ・ディビシオンに降格したが、再び2シーズン連続で優勝し、2008-09シーズンの昇格プレーオフでRCDマジョルカBにPK戦の末に勝利してセグンダ・ディビシオンB昇格を決めた。
スポンサーとサプライヤー
期間 | ユニフォームサプライヤー | 胸スポンサー |
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1990–1991 | ケルメ | CLAS |
1991–1993 | Cajastur | |
1993–1998 | Joluvi | |
1998–2000 | Erima | なし |
2000–2001 | プーマ | |
2001–2003 | アストゥリアス州政府 | |
2003–2008 | Joluvi | |
2008– | ナイキ |
タイトル
国内タイトル
- コパ・デ・ラ・リーガ :1回
- 1990-1991
成績
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- 38シーズン - プリメーラ・ディビシオン
- 32シーズン - セグンダ・ディビシオン
- 6シーズン - セグンダ・ディビシオンB
- 4シーズン - テルセーラ・ディビシオン
歴代監督
- ハビエル・イルレタ 1989 - 1993
- ラドミロ・イバンチェビッチ 1993 - 1996
- ホセ・アントニオ・ノボ 1997
- オスカル・ワシントン・タバレス 1997 - 1998
- フェルナンド・バスケス 1998 - 1999
- ルイス・アラゴネス 1999 - 2000
- ラドミロ・イバンチェビッチ 2000 - 2001
- エンリケ・キケ・マリヒル 2001 - 2003
- ビセンテ・ゴンザレス 2003
- ミゲル・サンチェス 2003
- アントニオ・リバス 2003 - 2006
- トーニョ・ベラスケス 2006
歴代所属選手
- イシドロ・ランガラ 1930-1936,1946-1948
- ルイス・アラゴネス 1960-1961
- ペドロ・ザバラ 1970-1971
- パブロ・マケーダ 1993-1995
- フアン・ルイス・モラ 1993-1999
- ロベルト・プロシネチキ 1994-1995
- セサル・マルティン 1994-1999
- ビクトル・オノプコ 1995-2002
- ハビエル・ロドリゲス・ベンタ 1995-1996
- トーマス・クリスチャンセン 1996-1997
- アベル・シャビエル 1996-1998
- フリオ・デリー・バルデス 1997-2000
- セルヒオ・ボリス 1998-2002
- アルベルト・ナジ 1998-2001
- ヴェリコ・パウノヴィッチ 2000-2001
- ブルーノ・ベルナー 2000
- ハビエル・パレデス 2001-2003
脚注
- ^ “Real Oviedo, Real who?”. SpanishFootball.info. 2011年10月24日閲覧。
外部リンク
- 公式ウェブサイト (スペイン語)
- Futbolmeによるクラブ紹介 (スペイン語)
- 公式クラブマガジン (スペイン語)
- 公式クラブブログ (スペイン語)
- Big Soccerによるクラブ紹介
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