リンダ・ラヴレース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Tribot (会話 | 投稿記録) による 2015年7月26日 (日) 09:54個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (bot: WP:BOTREQ#既設分のTemplate:女性モデルのメンテナンス依頼 oldid=56305719)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

リンダ・ラヴレース
Linda Lovelace
プロフィール
生年月日 1949年1月10日
没年月日 2002年4月22日
没年齢 53歳(数え54)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ニューヨーク市ブロンクス区
公称サイズ([1]時点)
身長 / 体重 173 cm / kg
モデル: テンプレート - カテゴリ

リンダ・ラヴレースLinda Lovelace)、本名リンダ・スーザン・ボアマンLinda Susan Boreman, 1949年1月10日 - 2002年4月22日)は、アメリカ合衆国ニューヨークブロンクス出身の女優1972年ポルノ映画ディープ・スロート』で有名となり、その後ポルノ映画に対する反論者になった[1]

史上最も成功したポルノ映画である『ディープ・スロート』に出演する前、いくつかの短編ハードコア・ポルノ映画に主演。その後、多くのソフトコア・ポルノ映画に出演したが、それらの多くは失敗作だった。

『ディープ・スロート』については、「出演料が支払われず、映画は約6億ドルの総収益を上げたが、夫のチャック・トレイナーは1,250ドルしか受け取らなかった」と主張。さらに彼女は、申し立てによると、獣姦ポルノ映画を作ったことで非難されたが、常にそれを否定した。

映画デビューの数年後、「夫が自分にを突きつけてポルノ映画への出演を強要した」と主張。その後、トレイナーとは1973年に離婚している(トレイナーはその後、別のポルノ・スター、マリリン・チェンバースと再婚している)。

1980年に出版された自叙伝によれば、カップルの関係は暴力強姦売春・ポルノ映画によって悩まされたものであったという。

『ディープ・スロート』で大ポルノ・スターとなった後、様々なメディアに出演。1975年には、レッド・ツェッペリンのコンサートでのMCを行った。いくつかの海賊盤で、彼女のMCを聴くことができる。

ポルノ映画への出演経験をもとに、ポルノ映画調査委員会の前で証言し、大学キャンパスやその他の色んな場所で講義を行った。常に、ポルノ映画産業の慣習を「思いやりのないもの」として非難した。

2002年4月3日に、車を運転中に事故を起こし[1]、重傷を負う。4月22日に生命維持装置を外され、コロラド州デンバーで死去した。

元夫のチャック・トレイナーはラヴレースが死去した3ヶ月後、2002年7月22日に心臓発作で死去している。

関連項目

脚注

  1. ^ a b http://www.cinematoday.jp/page/N0024160”. シネマ・トゥデイ (2010年5月5日). 2011年6月15日閲覧。

外部リンク