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リンダ・ラヴレース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
リンダ・ラヴレース
Linda Lovelace
1973年のラブレース
プロフィール
生年月日 1949年1月10日
没年月日 2002年4月22日
没年齢 53歳(数え54)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ニューヨーク市ブロンクス区
公称サイズ([:en]時点)
身長 / 体重 173 cm / kg
モデル: テンプレート - カテゴリ

リンダ・ラヴレース (Linda Lovelace)、本名リンダ・スーザン・ボアマンLinda Susan Boreman, 1949年1月10日 - 2002年4月22日)は、アメリカ合衆国ニューヨークブロンクス出身の女優1972年ポルノ映画ディープ・スロート』で有名となり、その後ポルノ映画に対する反論者になった[1]

経歴

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史上最も成功したポルノ映画『ディープ・スロート』出演する前に、いくつかの短編ハードコア・ポルノ映画で主演した。のちに多くのソフトコア・ポルノ映画に出演したが、それらの多くは失敗作となった。

『ディープ・スロート』は「出演料が支払われず、映画は約6億ドルの総収益を上げたが、夫のチャック・トレイナーは1,250ドルしか受け取らなかった」と主張した。申し立てによるとラヴレースは、獣姦ポルノ映画を作ったことで非難されたが、常にそれを否定した。

映画デビューの数年後「夫が自分にを突きつけてポルノ映画へ出演を強要した」と主張し、トレイナーと1973年に離婚した。のちにトレイナーはポルノ・スターマリリン・チェンバースと再婚した。

1980年に出版した自叙伝で、トレイナーとの関係は暴力強姦売春・ポルノ映画によって悩まされていた、と記した。

『ディープ・スロート』で大ポルノ・スターとなったのちに、様々なメディアに出演した。1975年にレッド・ツェッペリンのコンサートでMCを務めた。いくつかの海賊盤で彼女のMCを聴くことができる。

ポルノ映画の出演経験をもとに、ポルノ映画調査委員会で証言し、大学キャンパスなど様々な場所で講義し、ポルノ映画産業の慣習を「思いやりのないもの」として非難し続けた。

2002年4月3日に車を運転中に事故を起こして[1]重傷を負い、4月22日に生命維持装置を外されてコロラド州デンバーで他界した。トレイナーは2002年7月22日に心臓発作で他界した。

関連項目

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脚注

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  1. ^ a b https://www.cinematoday.jp/news/N0024160”. シネマ・トゥデイ (2010年5月5日). 2011年6月15日閲覧。

外部リンク

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