ミシェル・アリヨ=マリー
ミシェル・アリヨ=マリー Michèle Jeanne Honorine Alliot-Marie | |
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国防相在任中のミシェル・アリヨ=マリー | |
生年月日 | 1946年9月10日(77歳) |
出生地 | フランス、ヴァル=ド=マルヌ県、ヴィルヌーヴ・ル・ロワ |
出身校 | パリ第2大学(パンテオン・アサス) |
所属政党 | 共和国連合(RPR)→国民運動連合(UMP) |
配偶者 | パトリック・オリエール(パートナー,元フランス国民議会議長) |
親族 | ベルナール・マリ(父,ビアリッツ市長兼国民議会議員) |
選挙区 | ピレネー=アトランティック県第6選挙区 |
在任期間 | 1986年 - |
内閣 | 第3次フランソワ・フィヨン内閣 |
在任期間 | 2010年11月14日 - 2011年2月27日 |
大統領 | ニコラ・サルコジ |
内閣 | 第2次フランソワ・フィヨン内閣 |
在任期間 | 2009年6月23日 - 2010年11月13日 |
大統領 | ニコラ・サルコジ |
内閣 | 第1次・第2次フランソワ・フィヨン内閣 |
在任期間 | 2007年5月18日 - 2009年6月23日 |
内閣 |
ジャン=ピエール・ラファラン内閣(第1次~第3次) ドミニク・ド・ヴィルパン内閣 |
在任期間 | 2002年5月7日 - 2007年5月18日 |
大統領 | ジャック・シラク |
その他の職歴 | |
青少年問題・スポーツ担当大臣 (1993年3月29日 - 1995年5月18日) |
ミシェル・ジャンヌ・オノリーヌ・アリヨ=マリ(Michèle Jeanne Honorine Alliot-Marie,1946年9月10日 - )はフランスの政治家。また、弁護士資格免許(CAPA)を有する弁護士でもある。フランスのメディアなどでは、名前の頭文字をとって“MAM”(マム)の愛称で呼ばれる。
ヴァル=ド=マルヌ県、ヴィルヌーヴ・ル・ロワで生まれる。2002年に成立したジャン=ピエール・ラファラン内閣において、女性としてフランス史上初めて国防大臣に就任し、一躍注目を集めた。その後は2007年5月まで同職を務めたのち、同月新たに成立したフランソワ・フィヨン内閣の下で、こちらも女性としてフランス史上初めて内務大臣に就任するなど、国防・治安関係の要職を歴任した。さらに、2009年6月からは内務大臣職をブリス・オルトフーに譲り、欧州議会議員選挙に出馬するために辞職したラシダ・ダティの後任として司法大臣を務めた後、2010年11月15日のフィヨン内閣改造にあたってはベルナール・クシュネルの後任として外務大臣に就任した。
アリヨ=マリーは頻繁にチュニジアで休暇をすごしていたが、昨年末、ジャスミン革命の最中も休暇をとった。休暇中ベン・アリ旧政権から便宜供与されたことが問題視された[1]。
結局、2011年2月27日、外相を辞任した[2]。サルコジ大統領の意向により事実上の更迭と観測される。
民衆運動連合(UMP)の中で、下院議長、ジャン・ルイ・ドブレと同様、社会の動向に敏感に反応する。ド・ゴール主義の継承者であり、フランスのビジョンとフランス人への奉仕活動の促進を強調している。
2006年には、フォーブス誌で、世界で最も影響力のある女性として、57位にランクされている。
ミシェルは、(ピレネー・アトランティック県)ビアリッツ市の市長兼国民議会議員であったベルナール・マリの娘である。なお、ベルナールは、ラグビーの国際審判もしていた。
脚注
- ^ Tunisia's troubles: No sign of an end, The Economist, dated 13 January 2011.
- ^ http://www.tsr.ch/info/monde/2984680-michele-alliot-marie-jette-l-eponge.html
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