マリー=イザベル・ドルレアン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。オオミズナギドリ (会話 | 投稿記録) による 2016年3月26日 (土) 05:46個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

成婚時のマリー=イサベル

マリー=イザベル・ドルレアンフランス語Marie-Isabelle d'Orléans, 1848年9月21日 - 1919年7月20日)は、フランスルイ・フィリップ王太孫パリ伯フィリップの妻。スペイン王女の称号も持っていた。スペイン語名はマリア・イサベル・デ・オルレアンスMaría Isabel de Orleans)。

モンパンシエ公アントワーヌとその妻であるスペイン王女ルイサ・フェルナンダイサベル2世の妹)の長女として、セビーリャで生まれた。スペイン王フェルナンド7世とフランス王ルイ・フィリップの孫にあたる。

1864年5月30日、父方の従兄にあたるパリ伯フィリップと結婚、8子をもうけた。

フランスから追われたフィリップ夫妻は、最初イギリスへ移った。1871年に帰国が許され、一家はパリのオテル・マティニョンノルマンディーのユー城で暮らした。

1886年、パリ伯一家は再びフランスを追放された。1894年、亡命先のイギリス・バッキンガムシャーでパリ伯フィリップは死去した。未亡人となったマリー=イサベルはフランスのランダン城で暮らし、1919年にスペインのビリャマンリケ・デ・ラ・コンデサ(セビリア県の町)で死去した。

参考文献

  • Généalogie des rois et des princes by Jean-Charles Volkmann Edit. Jean-Paul Gisserot (1998)

外部リンク