マリー・ラフォレ

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Marie Laforêt
マリー・ラフォレ
マリー・ラフォレ
1994年
本名 Maïténa Marie Brigitte Doumenach
生年月日 (1939-10-05) 1939年10月5日
没年月日 (2019-11-02) 2019年11月2日(80歳没)
出生地 フランスの旗 フランス共和国、スーラック=シュル=メール
死没地 スイスの旗 スイスヴォー州ジェノリエ英語版
国籍 フランスの旗 フランススイスの旗 スイス
職業 女優 歌手
ジャンル 映画 テレビ 舞台 ステージ
活動期間 1959年-
主な作品
太陽がいっぱい』(1960年)
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マリー・ラフォレフランス語: Marie Laforêt, 1939年10月5日 - 2019年11月2日)は、フランス出身の女優歌手である。本名はマイテナ・ドゥメナク(Maïténa Doumenach)。1978年以降ジュネーヴに在住し、スイス国籍となっている。

来歴

南仏ジロンド県スーラック=シュル=メール(Soulac-sur-Mer, オック語: Solac)生まれ。本名のマイテナはバスク語で『愛されるもの』を意味する。姓のドゥメナクは、父がカタルーニャ系であることを示す。

1959年に姉の替わりに出場したラジオのタレントコンテスト "Naissance d'une Etoile"(スター誕生)で優勝した時にルイ・マル監督に見いだされる。

ルイ・マル監督の作品に出演するチャンスを掴むが、プロジェクト自体がなくなってしまう。しかし、デビュー作となったルネ・クレマン監督の『太陽がいっぱい』でアラン・ドロンの相手を演じて一躍フランスのアイドルとなる。

1960年ヌーヴェルヴァーグ映画監督ジャン=ガブリエル・アルビコッコと結婚、彼の監督作『金色の眼の女』などに出演した。1児をもうけるが、1971年に離婚した。

同年、アラン・カーン=スクリーベルと再婚、3人の子供をもうける。

シャンソン歌手としても活躍し、何枚かアルバムを出している。

舞台は、1968年にデビュー。その後は朗読公演などはこなしていたが、1996年ファニー・アルダンから引継ぎロマン・ポランスキー演出による《マスター・クラス》でマリア・カラス役に挑む。これが注目され、99年にはディディエ・ロング新演出による同作を演じて2000年モリエール賞最優秀女優賞にノミネートされ、2009年の再演でも再び候補となった。

2019年11月2日、ヴォー州ジェノリエ英語版で死去。80歳没[1]

主な出演映画

日本のテレビ番組出演

脚注

参考資料

  • 『マリー・ラフォレの伝説と物語』(Contes et legendes de ma vie privee) 持田明子訳、白水社、四六判 268P 1983年9月発行、1785円(絶版)

外部リンク