マドレーヌ (児童文学)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Mercurius (会話 | 投稿記録) による 2015年11月21日 (土) 23:39個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎備考)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

マドレーヌ』(Madeline)は、オーストリア生まれの絵本作家・ルドウィッヒ・ベーメルマンスLudwig Bemelmans, 1898年4月27日 - 1962年10月1日)が1939年に出版した『げんきなマドレーヌ(原題:Madeline)』を第1作とする絵本シリーズ及び主人公の名前。

概要

マドレーヌはフランスパリ寄宿舎に住むアメリカ生まれの女の子。12人の女の子の中では、一番背がちっちゃいけれど一番勇敢。そんな彼女を始めとすると女の子たちと寄宿舎の先生がヨーロッパ中を冒険する物語。

シリーズ作品

げんきなマドレーヌ
パリのツタの絡まる古い寄宿舎に暮らす12人の女の子。その中で一番ちっちゃいけど一番元気な子が、マドレーヌ。
ある夜、先生のミス・クラベルが胸騒ぎを覚えてかけつけると、マドレーヌは腹痛を訴え、真っ赤に目を泣き腫らしていました。盲腸炎と診断されたマドレーヌは、みんなと別れて入院することに………。 
マドレーヌといぬ
ある日の朝のお散歩、マドレーヌが元気が良すぎてセーヌ川に落ちてしまったからさあ大変。そんなとき、川に飛び込んでマドレーヌを助けてくれた一匹のノラ犬に、みんなはジェヌヴィエーヴと名付けて寄宿舎で飼う事にしたのですが、評議委員による学校検査の日が近付いてきて……。
マドレーヌといたずらっ子
学校のお隣に、スペイン大使夫妻が引越しして来ました。大使夫妻の一人息子のペピートはとんでもないいたずら小僧 ! 度を越したいたずらに、みんなは次第に我慢の限界を超えてしまうのですが………。
マドレーヌとジプシー
ペピートの招待でジプシーサーカスにやってきたマドレーヌたち。しかし、ひょんなことからマドレーヌとペピートはみんなからはぐれてしまい、サーカス団の一員として巡業の旅に出ることになりました。楽しい日々を過ごす一方で、ミス・クラベルはハラハラし通し。そして、水晶玉を通してミス・クラベルがマドレーヌたちを探していることを知ったジプシー母さんは、絶対に子どもたちを手放すまいと、2人を……。
ロンドンのマドレーヌ
スペイン大使夫妻が仕事の都合によりパリを離れ、ロンドンに引っ越さなければならなくなりました。女の子たちとペピートは、泣いて別れを惜しみます。ペピートは寂しさと悲しさのあまり、棒のようにやせ細ってしまい、困った夫妻は、ミス・クラベルと女の子たちをロンドンに招くことにしました。その日はちょうどペピートの誕生日。女の子たちはペピートが欲しがっている「」を探してロンドンの町を歩き回るのですが………。
アメリカのマドレーヌ
ある日マドレーヌ宛に、テキサス州に住むひいおじいさんが亡くなったことを知らせる海外電報が届きました。ひいては遺言書の公開のため、マドレーヌにテキサスに来て欲しいというのです。ミス・クラベルとマドレーヌたちは、テキサスに来てビックリ! マドレーヌのひいおじいさんは驚くほどの大金持ちだったのです。「すばらしいわ!」と有頂天になるマドレーヌや女の子たちを見て、ミスクラベルは「甘やかしすぎだ」と困惑気味。そんな中、マドレーヌが行方不明になるという事件が起きてしまいます。マドレーヌは無事なのでしょうか。そして遺言書に書いてあったこととは、果たして………。
マドレーヌのクリスマス
クリスマスの前日の夜。折悪しく、みんなは風邪をひいて寝込んでいます。ただ1人元気で、テキパキと働くマドレーヌの所へ一人の怪しげなじゅうたん商人がやってきます。「足が冷えなくていいわ」と、マドレーヌは12人分のじゅうたんを商人から買うのですが………。
ちいさなマドレーヌ
「げんきなマドレーヌ」の様々なシーンを楽しめる仕掛け絵本。あのシーンはどうなっているのかな?
マドレーヌのメルシーブック いつもおぎょうぎよくいるために 
いつもお行儀よくいるためにはどんな心構えが必要か、どういう風に行動をすれば良いか、マドレーヌとペピートたちが様々なマナーを紹介しながら分かり易く教えてくれるマナーブック。
マドレーヌとどうぶつたち
マドレーヌと動物たちとの温かな触れ合いに溢れる1日の生活を描くおしゃれなボードブック。
マドレーヌ、ホワイトハウスへいく
アメリカのホワイトハウスへと招かれたマドレーヌたちは、大統領の娘ペネロペと共に、イースターのお祭りを楽しみます。そして、お別れの前の晩に、とあるステキな出来事が……。
マドレーヌとローマのねこたち
どんよりと薄暗いパリの町を離れてローマへと旅立ったマドレーヌたちは、美しいローマの街並に胸を躍らせます。しかしミス・クラベルのカメラが泥棒にひったくられてしまい、勇敢なマドレーヌはただ独り泥棒を追いかけ、ローマの街を奔走します。その先でマドレーヌが目にしたものは……?

備考

  • マドレーヌの名前は、1935年に結婚したベーメルマンスの妻Madeline Freundからとっている。
  • 「マドレーヌといぬ」ではCaldecott賞を受賞した。しかし本人は受賞したことを大層驚いており、公の場に出るのを嫌って、妻を授賞式に出席させたという。[1]
  • 作者の母は若い頃、修道院が運営する寄宿学校で生活していた経験があり、そのことを幼少時の作者によく話して聞かせていたことと、作者が海外旅行中に入院した先の病院で盲腸で入院している女の子に出会ったことが、この作品のインスピレーションに繋がったという。[1]
  • マドレーヌのぬいぐるみには、絵本のエピソードにちなみ、腹部に盲腸の手術の痕が付けられている
  • 原作第1作ではマドレーヌが入院した後の歯磨きのシーンで、12人が全員そろっている。作者によれば自身のミスであり読者の指摘によって判明したが、あえて改定せずに残したという。仕掛け絵本版では、11人の女の子たちが寝ている最後のページで、入院しているはずのマドレーヌが寝ている。
  • マドレーヌ以外の11人の女の子については、原作では特に名前は出てこないが、アニメ版ではそれぞれ、ニコル、ダニエル、クロエ、イヴェット、ルル、シルヴィエ、エリー、アンヌ、ノナ、ジャニーヌ、モニークとなっている。公式グッズのぬいぐるみでは、マドレーヌ以外にアニメシリーズの名前を冠した11人の女の子たちのぬいぐるみも発売されている。また、実写版では別の名前がつけられており、全員白人の子役が演じている。
  • 「アメリカのマドレーヌ」及び「マドレーヌのメルシーブック」はベーメルマンスの遺作として未完の状態で残され、スケッチやメモなどを元に孫のジョン・ベーメルマンス・マルシアーノが完成させた。色使いや筆致などに祖父との相違が大きく見られる。また、それ以降の続刊も彼によって描き継がれている。
  • 「マドレーヌのクリスマス(Madeline's Christmas)」は、同内容及び同タイトルで雑誌に掲載された後、作中に登場する魔術師に焦点を当てたストーリーに推敲され「Madeline and the Magician」のタイトルで絵本として出版される予定であり、ベーメルマンスが亡くなったのはその改訂作業中のことであった。(一旦完成させた作品を雑誌に掲載し、読者の反応に基づいて改定した後に改めて絵本として出版するという制作スタイルをとっていた)作者の死後、同作をそのまま絵本として出版するに当たり原画が見当たらなかったため、雑掲載雑誌から写真撮影で写し取った挿絵を引き伸ばしてコピーし、その上から彩色を施した上で絵本として出版された。[1]

著者略歴

ルドウィッヒ・ベーメルマンスはチロル地方のメラーノに生まれた。父はベルギー人の画家。問題を起こすことが多く、様々な寄宿学校等で育った。14歳で学校を中退し、ホテルで働きはじめるが、気性の激しさから故郷で騒動を起こし、16歳で渡米する。第一次大戦後、本格的に絵の勉強をしようとミュンヘンへ行く計画を立てるが、結局夢は果たせず、ホテルの仕事を続ける。

1925年にはニューヨークイーストサイドのレストランのオーナーとなり、そのレストランの壁やアパートの日よけなどに様々な絵を描いていたところ、友人の編集者の目にとまり、絵本を描くことを勧められる。

第1作は「Hansi(森のクリスマス)」(日本語版は、岩波書店からの出版(訳・光吉夏弥))(1934年)。1939年には「Madeline(げんきなマドレーヌ)」をニューヨークのViking Pressから発表。続いて「Madeline's Rescue(マドレーヌといぬ)」、「Madeline and the Bad Hat(マドレーヌといたずらっこ)」、「Madeline and the Gypsies(マドレーヌとジプシー)」、「Madeline in London(ロンドンのマドレーヌ)」等の作品を発表していった。

映画

1998年にベーメルマンス生誕60周年を記念して、ハリウッドで実写映画化されている。監督はデイジー・フォン・シェーラ・マイヤーミス・クラベル役にフランシス・マクドーマンド、マドレーヌ役にはハティ・ジョーンズ。日本では劇場未公開。1999年にソニー・ピクチャーズがビデオを発売。またテレビでは映画専門チャンネル他で放送された。

アニメ

1990年にヤマハからCinar production制作によるアニメ版のビデオソフトが発売されていたが、現在では権利が切れているため同社からの発売はない。

カナダのDIC ENTERTAINMENTにより、テレビアニメ版が制作された。日本国内では、1998年1月からNHK衛星第2テレビの「衛星アニメ劇場」で第1シーズンと第2シーズンがそれぞれ「マドレーヌ」・「新マドレーヌ」の題で放送された。また、2001年9月から毎日放送他で、『マドレーヌといっしょに』の題で新シリーズが放送された。これは衛星アニメ劇場で放映された「マドレーヌ」シリーズの続編にあたるが、特定のシーズンの放映ではなく、1990年代後半に国外で放映された複数のシーズンからエピソードを抜粋して構成されたものである。諸事情で放映終了した『新マドレーヌ』を除き、1999年と2002年に制作された長編版と併せて両者ともカートゥーンネットワークで現在も再放送されている。

脚注

  1. ^ a b c 『ベーメルマンス マドレーヌの作者の絵と生涯』より。
毎日放送(ローカル枠) 土曜7時台前半
前番組 番組名 次番組
マドレーヌといっしょに
(2001年12月1日 - 2002年6月1日)

外部リンク