ヘブライズム

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ヘブライズム(Hebraism)とは、「ユダヤ人ヘブライ人ユダヤ教)風の文化性」のこと。一般的には、ヨーロッパにおけるキリスト教の文化性を指し、「ヘレニズム」(ギリシャ風の文化性)と共に、欧州文化の二大源流の1つとして言及する文脈で持ち出される。

特徴

「ヘブライズム」の特色は、すなわち「ユダヤ教・キリスト教」の特色であり、「ヘレニズム」との対比においては、「人間性」「理性」「論理性」が際立つ「ヘレニズム」に対し、

といった性格が際立っている[1]

歴史

古代

アレクサンドロス大王の東方大遠征に伴い、ギリシャ文化が地中海から(インド以西の)アジアにかけての地域に、広く普及・浸透・流通することになり、アジア文化と融合しながら、「ヘレニズム文化」を生み出すことになった。それは、ギリシャ(マケドニア王国)から覇権を奪取した古代ローマの時代にも継承されていくが、そうした歴史的な流れの中で、アレクサンドリアのフィロン等のユダヤ教徒や、キリスト教の使徒ギリシャ教父ラテン教父等によって、「ユダヤ教・キリスト教」の文化性は、「ヘレニズム文化」の一部として[要出典]、徐々にヨーロッパへと浸透していった。

特に、ユダヤ民族であることや、戒律厳守を要件とせず、異邦人へと積極的に布教・伝道を行なっていたキリスト教の普及は(様々な迫害にもかかわらず)目覚しいものがあり、313年にはミラノ勅令によってローマ帝国に公認され、392年ローマ帝国の唯一の国教としての地位が確立するに至った。

こうしてヨーロッパにおいて、「ヘブライズム」は「ヘレニズム」と並ぶ文化的影響力を、後世へと残していくことになった。

キリスト教は、アジア(中東)にも一定の普及はなされていたが、610年に成立したイスラム教の普及に伴い、中東はヨーロッパのキリスト教とはまた別の「ヘブライズム」に、覆われていくことになった。

中世

近代

脚注・出典

関連項目