プロネヴェ=ポルゼ
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Plonévez-Porzay | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | ブルターニュ地域圏 |
県 (département) | フィニステール県 |
郡 (arrondissement) | シャトーラン郡 |
小郡 (canton) | シャトーラン小郡 |
INSEEコード | 29176 |
郵便番号 | 29550 |
市長(任期) |
ポール・ディヴァナック (2008年 - 2014年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de Communes du Pays de Châteaulin et du Porzay |
人口動態 | |
人口 |
1717人 (2010年) |
人口密度 | 59人/km2 |
住民の呼称 | Plonévézien, Plonévézienne |
地理 | |
座標 | 北緯48度07分30秒 西経4度13分12秒 / 北緯48.125度 西経4.22度座標: 北緯48度07分30秒 西経4度13分12秒 / 北緯48.125度 西経4.22度 |
標高 |
平均:90m 最低:m 最高:m |
面積 | 29.23km2 |
公式サイト | Site officiel de Plonévez-Porzay |
プロネヴェ=ポルゼ (Plonévez-Porzay、ブルトン語:Plonevez-Porzhe)は、フランス、ブルターニュ地域圏、フィニステール県のコミューン。
地理
[編集]プロネヴェ=ポルゼは海辺の町で、コルヌアイユ地方に含まれるポルゼ地域の平野に位置する。北をプロエヴァンとカスト、東をケメネヴァン、南はロクロナンとケルラズと接している。町の西側は、サンタンヌ=ラ=パリュー、ケルヴェル、トレズマラウエンの崖と砂浜である。
最寄りの鉄道駅はカンペールかシャトーランである。最寄りの空港はカンペール・コルヌアイユ空港か、ブレスト・ブルターニュ空港である。
歴史
[編集]15世紀にネヴェト家がケルラズ小教区(当時はプロネヴェ=ポルゼ教区の一部)にレザルガン城を建てた。城の痕跡は残っていない。19世紀後半、城の地中の基礎部分が発掘され、請負人夫が残した印が見つかっている[1]。
1856年12月日曜日の朝、トレフンテックの浜でジャン=マリー・ルブリは馬に引かせたグライダーを操縦して、100mの高さまで上昇し200m飛行した。
人口統計
[編集]1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2006年 | 2010年 |
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1620 | 1527 | 1533 | 1643 | 1663 | 1582 | 1656 | 1717 |
参照元:1999年までEHESS[2]、2000年以降INSEE[3][4]
経済
[編集]町の経済は農業に最も依存しており、次に観光、手工芸、そして小規模工業がある。
ドゥアルヌネ湾、クロゾン半島を見下ろすトレフンテック岬は、しばしばハイキングやパラグライダーを楽しむ人々がやってくる。
伝承
[編集]- 作家アナトール・ル・ブラズが収集した伝承によれば、マリアの母アンナ(フランス語ではアンヌ)はプロネヴェ=ポルゼの生まれであった。アンナはアルモリカの領主と結婚した。夫の死後にアルモリカはユダヤの一部となり、彼女はそこで再婚した。また、イエス・キリストは、磔刑にされる前に、祖母アンナから祝福を受けるために、ペテロとともにブルターニュを訪れたと言われている。キリストが大地に杖を突き立てると、そこから水が湧き出た。アンナはプロネヴェ=ポルゼで没し、その場所には最初のサンタンヌ=ラ=パリュー礼拝堂(17世紀からあるが、現在は失われている)が建てられた。
- 別の伝承では、アンナはキリスト教伝来以前はアイルランド島の神々の母、豊穣の女神であった。現在、聖母マリアの母・アンナの像が、サンタンヌ=ラ=パリュー礼拝堂(19世紀再建)のそば、泉を見下ろす場所に建てられている。四旬節の第2日曜日、復活祭の火曜日、昇天後の日曜日、7月26日や8月の日曜日には、ロウソクを手にした巡礼者たちがパルドン祭りのため集まる。泉の水を飲むと力が授けられるという。