フェリックス・ニコラス・ミドン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。今紫 (会話 | 投稿記録) による 2022年3月6日 (日) 02:35個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎外部リンク)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

フェリックス・ニコラス・ミドン
Félix-Nicolas-Joseph Midon
カトリック大阪司教
教会 カトリック教会
司教区 大阪
着座 1891年6月15日
離任 1893年4月12日
聖職
司祭叙階 1864年5月21日
司教叙階 1888年6月11日
個人情報
出生 1840年5月7日
フランスの旗 フランスヴォージュ県ボンヴィレ
死去 1893年4月12日
フランスの旗 フランスマルセイユ
テンプレートを表示

フェリックス・ニコラス・ミドン(Félix-Nicolas-Joseph Midon, 1840年5月7日1893年4月12日)は、フランスのカトリック宣教師で、パリ外国宣教会員。日本中部使徒座代理区長及びカトリック大阪教区初代司教を努めた。

生涯

フランスヴォージュ県ボンヴィレで、父ジョセフ・ミドンと母マリー・マドレーヌの長男として生まれる。母親を亡くして7歳のときに叔父のジャレ神父に託された。ポンタムーソン小神学校ナンシーの大神学校で学んた。1864年5月21日に司祭に叙階され、サンジャック・ド・ルネヴィル教会の司祭に任命され、次にサン・セバスチャン・ド・ナンシー教会の司祭に任命された[1] 。 1869年にパリ外国宣教会の神学校に入り、翌年には日本への伝道に出て、長崎でフランス語を教え、日本語を学んだ[2]

1888年6月11日、カエサロポリス名義司教および日本中部使徒座代理区長として任命された。 1891年6月15日に大阪の司教に任命された[3]

体調不良でフランスに帰国し、1893年4月12日にマルセイユ肺炎で亡くなった。

脚注

外部リンク

先代
カトリック大阪司教区 教区長
1891年1893年
次代
アンリ・ヴァスロン