フェランティ

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フェランティFerranti International plc)社は、かつて存在したイギリスの電子機器製造業者。特に軍事関連電子機器と送電システムで知られていた。

フェランティはコンピュータ製造業者としても有名で、1949年に発売した世界で2番目の商用コンピュータ Ferranti Mark I から始まって、1970年代まで事業を続けた。マンチェスター大学とケンブリッジ大学のコンピュータ部門と深いつながりがあり、Mercury(マンチェスター)、Atlas(マンチェスター)、Atlas 2(ケンブリッジ、別名 Titan)などが開発された。

歴史

創業

セバスチャン・ジアーニ・ド・フェランティは1882年にロンドンで各種電気機器を設計する会社を設立した。フェランティは早くから交流送電に賭けており、イギリスでは数少ない専門家の一人であった。1887年、London Electric Supply Corporation (LESCo) はデットフォードの発電所の設計をフェランティに依頼した。彼は発電所の建物と発電機、送電機構を設計。1891年に完成したこの発電所は世界初の近代的発電所であり、高圧交流電力を発生して、各家庭には降圧させた電力を供給するようになっていた。この方式は現在でも世界中で使われている。

急激な成長

成功は続き、フェランティは電気機器を製造販売し始めた。すぐに会社は手狭となった。ロンドン地区の土地は高すぎたので、1896年、同社はオールダムの Hollinwood へ移転。1905年、フェランティ・リミテッド (Ferranti Ltd.) が設立された。1910年ごろまでにフェランティ社は交流発電機、高圧ケーブル、電流遮断器変圧器タービンなどに関して176個の特許を取得している。

20世紀のはじめ、電力は小規模の会社が供給していた。地場産業に電力を提供する発電施設がプラント内に設置されるのが一般的だった。各プラントはそれぞれ規格が異なり、一般家庭向けの電気機器を大量生産するのは困難であった。1910年、フェランティ社は電力の標準化に取り組みはじめ、1926年にイギリスに全国電力網が誕生した。

新たな工場が、Moston、Wythenshawe、Cheadle Heath、Gorton で操業を開始した。次いで、エディンバラ、Dalkeith、アバディーンにも工場が作られた。また、イギリス連邦カナダオーストラリアシンガポールにも工場が作られ、ドイツアメリカ合衆国にも進出した。

フェランティは Moston 工場でテレビやラジオも製造した。同じ Moston のフェランティ・インスツルメンツは科学的測定機器を開発している。

エレクトロニクスとコンピュータ

第二次世界大戦中に、フェランティは主要な電子機器製造業者となり、イギリスでのレーダー開発に深く関わっていた。戦後、エレクトロニクスが重要な位置を占めるようになり、レーダーアビオニクスなどの軍事関連電子機器をイギリスだけでなく各国で販売するようになった。

1940年代終盤、フェランティ社はいくつもの大学とのコンピュータの共同開発に携わった。最初の成果は PEGASUS という真空管を使用したシステムで、38台を販売した。

マンチェスター大学と共同で有名な Manchester Mark I の真空管の大部分をトランジスタなどで置き換えたバージョンを開発し、性能と信頼性を劇的に向上させた。フェランティ社はこれを Mercury として商用化し、1957年に発売、19台を販売した。フェランティ社全体からみれば小さな売り上げであるが、コンピュータ部門は軍事関連の多いフェランティ社では外部からもよくわかる部分であった。

Mercury の販売後、完全に新たな設計で性能を劇的に向上させた Atlas の開発が行われた。1962年に動作が確認され、フェランティ社は3台を製作した。ケンブリッジ大学の数学研究所(後のコンピュータ研究所)の要請で改造を加えた Atlas は Titan(あるいは Atlas 2)と呼ばれ、約8年間ケンブリッジでの科学技術計算の主力となった。

1960年代の初期にはそれらの中型機は競合力が無くなっていたが、後継機の設計は難航した。この隙にカナダの子会社フェランティ・パッカードがイギリスで検討されていたアイデアも取り入れて素早く Ferranti-Packard 6000 を開発した。これをきっかけとして1963年、フェランティ社のコンピュータ部門は International Computers and Tabulators(ICT、後のICL)に吸収合併された。いくつかのオプションを検討した上で、ICTは FP 6000 を ICT 1900 シリーズの基盤として活用し、1970年代に販売した。

ICTとの協定により、フェランティ社は商用コンピュータ市場に再参入できなくなったが、工業用コンピュータ市場への参入は自由だった。FP 6000 は Ferranti Argus 500 のベースとなった。

ICT 1900 も Argus 500 もワード長は24ビットである。アセンブラはほぼ同じだが、ニーモニックが若干異なっていた。1900用アセンブラは PLAN、Argus用アセンブラは APRIL と呼ばれていた。ICT 1900 シリーズは COBOLコンパイラを備え、商用コンピュータとして成功した。

Argus 500 は FORTRAN(後には CORAL)コンパイラを備えていた。リアルタイム分野で成功し、軍や工業分野で使われた。

Argus 700 の制御パネル

1970年代初期、フェランティ社は Argus 700 を設計、これも国際的に軍事関係と工業分野で成功を収めた。

他のコンピュータとして F1600B、F1600D、F1600E(いずれも24ビット)があり、初期の16ビットプロセッサのひとつ F100L もある。

解体

フェランティ社は1980年代終盤から軍需関連に集中するようになる。Booldhound SAM というミサイルのレーダーシステムを開発し、これが稼ぎ頭となっていた。

フェランティは米国ペンシルベニア州の軍需企業 International Signal and Control (ISC) を買収し、Ferranti International plc. と改称。部門を以下のように整理した。

  • Ferranti Computer Systems
  • Ferranti Defence Systems Integration
  • Ferranti Dynamics
  • Ferranti Satcomms
  • Ferranti Technologies
  • International Signal & Control

フェランティ社は、ISCのビジネスが米国の様々な極秘組織の命令による不法な兵器販売によって成り立っていたことを知らなかった。書類上、ISCの収入は公明正大な項目で充分黒字になっているように見えたが、実際にはそれらは存在していなかったのである。フェランティ社が買収するとともに不法販売は停止し、キャッシュフローが急激に悪化した。1989年、英国重要詐欺局 (Serious Fraud Office) はISCを大掛かりな詐欺の容疑で捜査した。1991年12月、ISC創設者で合併後の副会長であったジェームズ・ゲランは、英米両国をまたがった詐欺についてのフィラデルフィア連邦裁判所の法廷で有罪を認めた。

大規模な財政上および法律上の問題が原因で、フェランティ社は1993年12月に倒産した。コンピュータ部門は倒産前に Thompson-CSF (後の SYSECA)が買収した。フェランティ社が完全に倒産する1996年ごろまで、それは Ferranti-SYSECA の名で営業していた。

フェランテイ各部門のその後

  • Ferranti Computer Systems – SYSECA(現 Thales Information Systems)が買収し、Ferranti-SYSECA Ltd. と改称。後に単に SYSECA となった。空港システムを扱う部門は1995年に Datel社が購入した後も Ferranti Airport Systems の名前で営業していたが、後に Ultra Electronics社が買収した。
  • Ferranti Defence Systems Integration – GEC-Marconi社が取得。
  • Ferranti Dynamics – 1992年、GEC-Marconi社が取得。
  • Ferranti Instruments – 消滅。いくつかの資産は Ravenfield Designs社が取得。
  • Ferranti Satcomms – 1994年、Matra Marconi Space社が取得。
  • Ferranti Technologies – 独立企業となる。
  • Ferranti Air Systems – Datel社が取得後、独立企業となる。後に Ultra Electronics社が買収。
  • Ferranti Thomson Sonar Systems社の50% – GEC-Marconi社が取得。
  • 注: GEC社は1990年にフェランティの軍需部門の一部を取得した。

残存するフェランティの名称

フェランティの名は今も数多く残っている。エディンバラでは、Ferranti Edinburgh Social Club(FESC、フェランティ・エディンバラ社交クラブ)と Ferranti Mountaineering Club(フェランティ登山クラブ)が現存する。これらの組織はフェランティ社やフェランティ社の一部を取得した企業とは全くつながりがないが、今も昔の名前を使っている。

出典

関連項目