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フィリピンにおける死刑

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このフィリピンにおける死刑では、フィリピンにおける死刑について解説する。

なお、死刑制度は2006年6月24日に廃止された。


歴史

スペイン植民地時代(1565年~1898年)

1901年にフィリピンで行われた様子。

反逆罪と軍隊犯罪には銃殺刑、一般犯罪にはスペインと同じ鉄環絞首刑が執行されていた。ホセ・リサールがスペイン政府によって1896年12月30日の朝に、銃殺執行隊によって処刑された。

アメリカ植民地時代(1898年~1946年)

1926年にアメリカから電気椅子が導入される。

独立時代(1946年~現在)

フェルディナンド・マルコス大統領の独裁政治の中で、麻薬密売は銃殺刑になった。 麻薬密売人Lim Sengの死刑がテレビで全国放送された。 1976年に電気椅子が使用停止になると銃殺刑が唯一の執行方法となった。

1986年にフェルディナンド・マルコスが追放されたあと、新しく起草された憲法は一部の特定犯罪を除いて死刑を禁止した。 それは、実質的に死刑が廃止されたことを意味していた。 しかし、フィデル・ラモス政権の下で死刑制度は復活した。

フィデル・ラモス政権下での死刑復活

フィデルラモス大統領はクーデター未遂が相次いだ困難な時局を乗り切るため死刑を復活させた。 1976に電気椅子が廃止されるとガス室による死刑執行を行い、ジョセフ・エストラーダ政権時代には薬殺刑に変更された。 ジョセフ・エストラーダ大統領が2000年11月13日に弾劾されると死刑執行は停止されモラトリアム状態に入った。

グロリア・アロヨ政権下での廃止

2006年4月15日に1,230人の死刑囚の刑が終身刑に減刑された。アムネスティ・インターナショナルは「死刑宣告の過去最大の交換」であると発表した。 2006年6月24日に死刑を廃止する共和国法No.9346が可決されグロリア・アロヨ大統領によって署名され正式に死刑制度が廃止された。

執行方法

スペイン植民地時代にはスペインと同じ方式が採用され、アメリカ植民地時代から独立後はアメリカ方式を採用している。 そのため、アメリカ以外の国としては唯一の電気椅子採用国と言われている。

死刑執行人

詳細は不明

関連項目