ピーテル・ラストマン

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ピーテル・ラストマン
『受胎告知』(1618年)
エルミタージュ美術館
誕生日 1583年
死没年 1633年
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ピーテル・ラストマン(Pieter Lastman, 1583年 - 1633年)は、オランダ画家レンブラントヤン・リーフェンスの師匠としても知られている。 宗教画歴史画、寓意画を残している。

生涯

金細工職人の息子として生まれ、ヤン・ピーテルスゾーン・スウェーリンクの兄弟であるヘリット・スウェーリンクの元で修業した。19歳の時にイタリアに行き、5年間をそこで過ごし、カラヴァッジョアダム・エルスハイマーの影響を受ける。アムステルダムに戻った後はそれまでと違って、光と影の強いコントラストを用い、ドラマ性を強調するスタイルに変わっていった[1]

健康上の問題を抱えたため、1632年には兄弟のもとに身を寄せたが翌年に亡くなり、アムステルダムの旧教会に埋葬された。

ギャラリー

脚注

外部リンク