ディディエ・デ・ラディゲス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。EmausBot (会話 | 投稿記録) による 2013年3月22日 (金) 05:01個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (ボット: 言語間リンク 6 件をウィキデータ上の (d:Q1210605 に転記))であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ディディエ・デ・ラディゲス
グランプリでの経歴
国籍 ベルギーの旗 ベルギー
活動期間 1979年 - 1991年
チーム ヤマハカジバスズキ
レース数 141
チャンピオン 0
優勝回数 4
表彰台回数 15
通算獲得ポイント 688
ポールポジション回数 12
ファステストラップ回数 3
初グランプリ 1979年 (500cc - ダッチTT)
初勝利 1982年 (350cc - イタリアGP)
最終勝利 1983年 (250cc - ベルギーGP)
最終グランプリ 1991年 (500cc - マレーシアGP)
テンプレートを表示

ディディエ・デ・ラディゲス (Didier de Radiguès、1958年3月27日 - ) は、ベルギー出身の元レーサー2輪のグランプリ(ロードレース世界選手権)や4輪耐久レースで活躍した。日本語媒体では「ディディエ・デ・ラディゲ」という表記や呼称も見られた。

経歴

1979年、500ccクラスでグランプリにデビューした。グランプリで最も成功したシーズンは1982年で、この年は350ccクラスで2勝を挙げてアントン・マンクに次ぐランキング2位となった。その後、1988年にはヤマハファクトリー・チームエディ・ローソンのチームメイトを、1991年にはスズキケビン・シュワンツのチームメイトをつとめた。グランプリでは通算4勝を挙げている。

2輪レースを引退後、4輪の耐久レースに活躍の場を移し、1997年のスパ24時間レースで優勝した後、アメリカン・ル・マン・シリーズに参戦。2001年にはLMP675クラスチャンピオンを獲得した。

1998年のル・マン24時間レースには、同じく元グランプリライダーのワイン・ガードナーと同じチームから出場した[1]

戦績

ロードレース世界選手権
1980年 - 250ccクラス・ランキング18位
1981年 - 250ccクラス・ランキング9位、350ccクラス・ランキング17位
1982年 - 250ccクラス・ランキング6位(1勝)、350ccクラス・ランキング2位(2勝)
1983年 - 250ccクラス・ランキング3位(1勝)
1984年 - 500ccクラス・ランキング9位
1985年 - 500ccクラス・ランキング8位
1986年 - 500ccクラス・ランキング7位
1987年 - 500ccクラス・ランキング12位
1988年 - 500ccクラス・ランキング7位
1989年 - 250ccクラス・ランキング12位
1990年 - 250ccクラス・ランキング12位
1991年 - 500ccクラス・ランキング8位
アメリカン・ル・マン・シリーズ
1999年 - プロトタイプクラス・ランキング17位
2000年 - プロトタイプクラス・ランキング16位
2001年 - LMP675クラス・チャンピオン
2002年 - LMP900クラス・ランキング21位
その他
1997年 - スパ・フランコルシャン24時間レース優勝

脚注

外部リンク