ゾルターン・ロズニャイ

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ゾルターン・ロズニャイまたはロジュニャイ・ゾルターンZoltán Rozsnyai, 1926年1月29日1990年9月10日)はハンガリー指揮者音楽監督

略歴[編集]

ブダペスト出身。フランツ・リスト音楽院にてコダーイ・ゾルターンバルトーク・ベーラエルンスト・フォン・ドホナーニらに師事。すでに10歳でコンサート・ピアニストとして活動しており、音楽院では最年少の学生だった。卒業後は、24歳でデブレツェン歌劇場の音楽監督に任命されている。1954年にハンガリー国立フィルハーモニー演奏協会の終身指揮者に就任。1956年5月にローマ国際指揮コンクールに入賞。その直後に客演指揮者としてローマに呼び戻された。同年のハンガリー動乱の後でブダペストを離れてウィーンに移ると、辣腕の亡命ハンガリー人演奏家を結集して、かの名高いフィルハーモニア・フンガリカをウィーンで結成した。ロズニャイは絶え間ない努力を重ねて、フィルハーモニア・フンガリカをヨーロッパでも屈指のオーケストラに成長させ、1959年には、ロックフェラー財団フォード財団の援助を受けて、フィルハーモニア・フンガリカを最初のアメリカ演奏旅行に連れ出した。オーケストラは各地で高い評価を受け、ロズニャイは客演指揮者として招待が相次いだ。

1961年アメリカ合衆国に永住。1962年レナード・バーンスタインのもとでニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団の准指揮者となり、1963年にはクリーヴランド・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に指名された。1967年には、130名の候補者を抑えてサンディエゴ交響楽団の音楽監督に就任した。ロズニャイの指揮のもとで同楽団はヴォックス・レーベルに最初の録音を行なっている。

1982年には、万国博覧会に乗じてノックスヴィル交響楽団を設立し、1987年にはサンディエゴ国際管弦楽団を結成した。後者は、世界各地のオーケストラや合奏団と演奏経験のある若者を集めて創った青少年オーケストラであった。メキシコ国境に近い地の利を生かして、国境の両側で演奏を行ない、高い評価を受けた。サンディエゴ国際管弦楽団を、メキシコのプロ・ムジカ合唱アンサンブルやコンビビウム・ムジクム合唱団と共演させて、モーツァルトの《レクィエム》やヴィヴァルディの《グローリア》を上演したほか、ハイドンのオラトリオ《四季》を録音している。

没年までサンディエゴ国際管弦楽団の活動に携わったが、1990年9月に心筋梗塞のため他界した。

外部リンク[編集]