ジキル博士とハイド氏 (1941年の映画)

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ジキル博士とハイド氏
Dr. Jekyll and Mr. Hyde
予告編より
監督 ヴィクター・フレミング
脚本 ジョン・リー・メイヒン
製作 ヴィクター・フレミング
出演者 スペンサー・トレイシー
イングリッド・バーグマン
ラナ・ターナー
ドナルド・クリスプ
音楽 フランツ・ワックスマン
撮影 ジョゼフ・ルッテンバーグ
編集 ハロルド・F・クレス
配給 アメリカ合衆国の旗 メトロ・ゴールドウィン・メイヤー
日本の旗 セントラル
公開 アメリカ合衆国の旗 1941年8月12日
日本の旗 1949年3月
上映時間 113分
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
製作費 約1,140,000ドル
興行収入 1,279,000ドル(北米配収)
1,072,000ドル(海外配収)
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ジキル博士とハイド氏』(Dr. Jekyll and Mr. Hyde)は、1941年のアメリカ映画で、1931年に作られた同名の映画のリメイク作品である。

原作はロバート・ルイス・スティーブンソンの小説『ジキル博士とハイド氏』で、監督はパラマウント映画から出された1931年の同名の映画の権利を手に入れ、この映画と同じくメトロ・ゴールドウィン・メイヤーから出された『風と共に去りぬ』と『オズの魔法使』の監督を務めた、ヴィクター・フレミング

プロデューサーは、ビクター・サヴィルで、脚本は初期のパーシー・ヒースとサムエル・ホフステインが演じた映画の脚本を元に、ジョン・リー・メイヒンが担当。音楽の製作は、フランツ・ワックスマンが、ダニエル・アミフィシアトロフとマリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコからノンクレジットの提供を受けたものである。

撮影はジョセフ・ルッテンバーグが行い、美術はセドリック・ギボンズ、そして衣裳のデザインはエイドリアンとジャイル・スティールが担当した。

出演したスターはスペンサー・トレイシーイングリッド・バーグマンラナ・ターナードナルド・クリスプイアン・ハンター、バートン・マクレーン、C・オーベリー・スミスとサラ・オールグッドである。


注意:以降の記述には物語・作品・登場人物に関するネタバレが含まれます。免責事項もお読みください。


あらすじ

ジキル博士は人間には皆善い面と悪い面があると信じている。実験により彼の悪い面・ハイドがあらわになった。実験はジキル博士にハイドがどれだけ悪い面があるかを教えた―ハイドは早くからジキルに興味を示したアイヴィー(イングリッド・バーグマン)や、ジキルの養父であるチャールズ卿(ドナルド・クリスプ)を殺害することができたのだった。物語の最後、ジキル博士の親友であるラニョン博士がジキルに向かって発砲したことにより、ハイドは殺され、かくしてジキルも死んだのだった。

キャスティング

有名な共演者に会ったことがないにもかかわらず、スペンサー・トレイシーは当初バーグマンとターナーの役である悪い女といい女でありながら同一人物とわかってしまう女性を、キャサリン・ヘップバーンに演じることを望んでいた。

受賞歴

この映画はアカデミー賞のうち3部門(最優秀映画賞(白黒映画)、最優秀脚本賞、最優秀音楽賞)のノミネートを受け、ドラマチックな映像が評価された。多くの会話、滑らかな展開、キャストの豪華さ、典型的なMGMスタイル、そして音楽の美しさといった、1931年の作品にはない要素がこの作品には詰まっている一方、1931年の作品には、本編全体を通して、音楽がまったく使われていなかった。

キャスト

備考

1946年のワーナー・ブラザーズの作品Hare Removerにおいて、エルマー・ファッドが招待してもらった家で薬を一杯服用して醜態をさらしている時、バッグス・バニーが観客に向かって「スペンサー・トレイシーの方が良かった!」と発言している。おもしろいことにワーナー・ブラザーズは、1986年以前のMGM作品を管理していたターナーエンターテイメントを1996年に入手したため、この映画と1931年の映画の権利を得ている。現在、正規版DVDが発売中で、大変珍しい両面1層となり、A面に1931年版、B面に1941年版が入る。

外部リンク