シャフカト・ミルジヨエフ

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シャフカト・ミルジヨエフ
Shavkat Mirziyoyev
Шавкат Мирзиёев


任期 2016年12月14日 –
首相 アブドゥラ・アリポフ

任期 2016年9月8日[1] – 2016年12月14日
首相 シャフカト・ミルジヨエフ

任期 2003年12月12日 – 2016年12月14日
元首 イスラム・カリモフ大統領
シャフカト・ミルジヨエフ大統領代行

出生 (1957-07-24) 1957年7月24日(66歳)
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
ウズベク・ソビエト社会主義共和国 ジザフ州
政党 自己献身・国民民主党→)
ウズベキスタン国民復興民主党→)
ウズベキスタン自由民主党

シャフカト・ミロモノヴィッチ・ミルジヨエフウズベク語: Shavkat Miromonovich Mirziyoyev / Шавкат Миромонович Мирзиёевロシア語: Шавкат Мираманович Мирзияев1957年7月24日 – )は、ウズベキスタンの政治家、同国大統領ウズベキスタン自由民主党所属、ジザフ州出身。

経歴

タシュケント灌漑・農業機械化大学ロシア語版英語版を卒業し、博士号を取得[2]コムソモールの書記、党オルグ、副学長として働く。その後1996年までタシュケントのミルザ・ウルグベク(旧クイブイシェフ)地区長に任命。1996年9月から2001年まで、ジザフ州知事[3]。1999年、ジザフ州から第2期国民議会に出馬し当選。2001年11月から2003年12月11日まで、サマルカンド州知事[3]

2003年12月11日に大統領イスラム・カリモフから首相に指名され、同日中に国民議会からの承認を得て就任する。2005年1月28日、第3期国会に再選。2005年2月4日と2010年1月26日にそれぞれ首相に再任された。2008年までは自己献身・国民民主党に所属し、同党の解党後は後継政党のウズベキスタン国民復興民主党を経て、2016年からはウズベキスタン自由民主党に所属している。

ミルジヨエフは行政を担うサマルカンド閥の実力者であり、カリモフの妻タチヤーナ・カリモヴァ英語版ウズベキスタン国家保安庁長官ルスタム・イノヤトフと友好関係にあることから、カリモフの後継者として有力視されていた[4]。2016年9月2日にカリモフが死去した際には、葬儀委員長に就任してカリモフの国葬を取り仕切り、後継者としての存在感を示した[5][6]

2016年9月8日、上下両院合同会議で大統領代行に任命[1]。2016年12月4日投開票の大統領選挙英語版で当選し、同年12月14日に正式に大統領に就任した。

2021年10月24日投開票の大統領選挙英語版の結果、80.1%の票を得て再選した[7]

出典

公職
先代
ニグマティラ・ユルダシェフ英語版(代行)
ウズベキスタンの旗 ウズベキスタン大統領
第2代:2016年 -
次代
(現職)
先代
ウトキル・スルタノフ
ウズベキスタンの旗 ウズベキスタン首相
第3代:2003年 - 2016年
次代
アブドゥラ・アリポフ