ゲルリッツ

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紋章 地図
Lage der kreisfreien Stadt Görlitz in Deutschland
基本情報
連邦州: ザクセン州
行政管区: ドレスデン行政管区
郡: ゲルリッツ郡
面積: 67.22 km²
人口:

55,519人(2021年12月31日現在) [1]

人口密度: 826 人/km²
標高: 海抜 199 m
緯度経度: 北緯 51度09分10秒
東経14度59分14秒
郵便番号: 02826-02828 (旧: 89xx)
市外局番: 03581
ナンバープレート: GR
自治体コード: 14 6 26 110
市の構成: 10 市区、 8 街区
市庁舎の住所: Untermarkt 6/8
02826 Görlitz
ウェブサイト: www.goerlitz.de
E-Mail: online@goerlitz.de
行政
上級市長: ヨアヒム・パウリック (Joachim Paulick) (CDU)

ゲルリッツ(Görlitz [ˈɡœʁlɪts] ( 音声ファイル), ソルブ語: ズホリェルツ Zhorjelc)は、旧オーバーラウジッツ地方(Oberlausitz)、現ザクセン州ナイセ川流域にあるドイツ都市である。現在はドレスデン都市圏に属する。

歴史

ゲルリッツの図(1575年)
聖ペテロ・パウロ教会。ナイセ川の国境の橋から

ゲルリッツの名は、スラヴ語で「燃やされた土地」(町を切り開く際に土地が焼かれた)を意味する言葉(「燃える」や「燃やす」を意味するロシア語のгоретьやチェコ語のhořetと同語源。)に由来する。ゲルリッツが最初に文献に登場するのは、当時ローマ王だったハインリヒ4世が1071年に書いた書簡である。13世紀以降、交易により町は発展する。

三十年戦争以後ザクセン選帝侯の支配下に入り、ナポレオン戦争の後、1815年のウィーン会議によりプロイセンシュレージエンの一部となった。

第二次世界大戦ではドイツが敗北する直前、町のナイセ川にかかる橋がすべて爆破された。大戦後、オーダー・ナイセ線東ドイツとポーランドとの国境線とされたため、旧ゲルリッツ市のナイセ川東岸が1948年にポーランド領ズゴジェレツ(Zgorzelec)となり、残りの部分は東ドイツのザクセン州の一部となった。その後ゲルリッツは1952年からドレスデン県に属し、ドイツ統一に際し再設置されたザクセン州に復帰した。

2002年の水害により、ゲルリッツとズゴジェレツを結ぶ橋が損傷したが、2004年10月に復旧した。

ゲルリッツとズゴジェレツの両都市は2007年12月ポーランドがシェンゲン協定に加盟したことにより、検問が廃止されて再度一つの町として発展する方向に向かい、「2030年までに1都市、1行政、1議会」とする計画を立てている[2]

ゲルリッツ郡(Landkreis Görlitz)の郡庁が置かれている。同郡は、人口流出による少子高齢化と過疎化が著しい[3]

2017年以降、右派・極右政党の「ドイツのための選択肢(AfD)」の勢力の中心地で、2021年ドイツ連邦議会選挙ではゲルリッツの有権者の30%以上の支持を集め、国内で最高の支持率を記録した[4][5]

交通

姉妹都市

ゲルリッツと姉妹都市を示す標柱

ゲルリッツ出身の人物

関連項目

出典

外部リンク