クール・ハーク
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クール・ハーク(Kool Herc, 本名:Clive Campbell, 1955年4月16日 -)はジャマイカ出身のDJ。
ジャマイカからの移民である彼は、自身が所有していたレゲエのサウンド・システム「ハーキュローズ(Herculords)」を利用し、自身の「ブレイクビーツ思想」に基づきヒップホップにおけるDJスタイルを最初に始めた一人と言われる。グランドマスター・フラッシュ、アフリカ・バンバータと並ぶ、ヒップホップの創始に関わった3大DJの一人。ヒップホップのゴッド・ファーザーとまで呼ばれるような存在。
1967年、ニューヨークのブロンクス区に移り住む。クライブ・キャンベルは後にハーク(ハーキュローズの短縮形)と名乗り、1973年妹の誕生日パーティーのためにレコードと機材を用意し、DJを始めた。このころに楽曲の特定部分を二枚の同じレコードを交互にかけ、何度も繰り返す、ブレイクビーツを発明したと言われている。
異説もあるが、一般的にブレイクビーツをかけると、踊り出すダンサーのことを「Bボーイ」(ブレイクボーイ)と名付けたのは彼だとされる。
2011年1月、腎臓結石で入院していることを明らかにした。健康保険に未加入であったため1万ドル(81万円)の医療費が払えずにいたが、DJプレミアなどがTwitterやネット中継で呼びかける。わずか一日で募金が集まり、2月には鎮痛剤などを使用して自宅静養。