クラクフ大公国

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クラクフ大公国
Großherzogtum Krakau  (ドイツ語)
Wielkie Księstwo Krakowskie  (ポーランド語)
クラクフ共和国 1846年 - 1918年 ポーランド第二共和国
クラクフの国旗 クラクフの国章
(国旗) (国章)
クラクフの位置
クラクフ大公国の地図
首都 クラクフ
大公
1846年 - 1848年 フェルディナント1世
1848年 - 1916年フランツ・ヨーゼフ1世
1916年 - 1918年カール1世
変遷
クラクフ蜂起(成立) 1846年11月16日
アウスグライヒ1867年
サン=ジェルマン条約(独立)1919年9月10日

クラクフ大公国(クラクフたいこうこく、ポーランド語: Wielkie Księstwo Krakowskie)またはクラカウ大公国ドイツ語: Großherzogtum Krakau)は、オーストリア帝国そしてオーストリア=ハンガリー帝国構成国として存在した大公国である。現在のポーランド南部に位置した。

概要[編集]

1846年11月16日クラクフ共和国オーストリア帝国に併合された後、創設された。クラクフ大公の称号は1846年から1918年までオーストリア皇帝の正式な称号の1つであった。

ワルシャワ公国の残った部分であるクラクフ共和国は、ウィーン会議の結果として機能的に独立した保護領とされた。不成功に終わったクラクフ蜂起によって、オーストリアに併合されるまで、共和国はプロイセン王国、オーストリア帝国、ロシア帝国の三国の影響を受けていた。同時に、ガリツィアブコヴィナを含むオーストリアの管理国の正式名称は「オシフィエンチム公国ザトル公国を含むクラクフ大公国と、ガリツィア・ロドメリア王国」に変えられた。これらの国々は、正式には別々で、それぞれ異なった国章と国旗があった。しかし、管理目的のため、1つの行政区画となった。公国には地方自治(Komisja Gubernialna)があった。