クラウジオ・サントロ

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クラウジオ・サントロ
クラウディオ・サントロ(中央)とアラム・ハチャトゥリアン(1955年)
生誕 1919年11月23日 ウィキデータを編集
マナウス ウィキデータを編集
死没 1989年3月27日 ウィキデータを編集 (69歳)
ブラジリア ウィキデータを編集
職業 作曲家, 指揮者, ヴァイオリニスト ウィキデータを編集
勤務先
  • ブラジリア大学 ウィキデータを編集
公式サイト http://www.claudiosantoro.art.br/index.html ウィキデータを編集

クラウジオ・フランコ・デ・サ・サントロClaudio Franco de Sá Santoro1919年11月23日 - 1989年3月27日)はブラジル作曲家

経歴[編集]

アマゾナス州マナウス出身。リオデジャネイロで学んだ後、パリでナディア・ブーランジェに師事。1939年からリオデジャネイロ音楽院の作曲の教員となった。1951年から1953年まで放送局の音楽ディレクターを務め、1962年から1965年までブラジリア大学の教授を務めた。 1970年からはマンハイム音楽・舞台芸術大学で教鞭をとった。 1978年にブラジルに帰国し、ブラジリアの国民劇場のオーケストラの初代指揮者に就任するとともに、ブラジリア大学で作曲及び指揮法の教授として教鞭をとった。

作風は、12音技法偶然性電子音楽などの実験的な手法も試した後、これらも折衷した伝統的なスタイルに落ち着いた。 ,

作品には6つのバレエ、14の交響曲、多数の管弦楽曲ヴァイオリン協奏曲チェロ協奏曲、2つのピアノ協奏曲室内楽曲、ピアノ曲、歌劇オラトリオカンタータ映画音楽などがある。

首都ブラジリアで没。

文献[編集]

  • Stanley Sadie; Alison Latham (1994). The Grove Concise Dictionary of Music. London: Macmillan. ISBN 978-039303753-1 

外部リンク[編集]