エリーザベト・アンナ・フォン・プロイセン

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エリーザベト・アンナ・フォン・プロイセンElisabeth Anna von Preußen, 1857年2月8日 ポツダム - 1895年8月28日 フルダ)は、プロイセンの王族、プロイセン王女(Prinzessin von Preußen)。オルデンブルク大公フリードリヒ・アウグスト(2世)の最初の妻。

プロイセン王子フリードリヒ・カールとその妻でアンハルト公レオポルト4世の娘であるマリア・アンナの間の第2子、次女として生まれた。1878年2月18日、ベルリンにおいてオルデンブルク大公家の世子フリードリヒ・アウグストと結婚した。エリーザベト・アンナの結婚式は、又従妹のシャルロッテ王女とザクセン=マイニンゲンベルンハルト3世との婚礼と同時に行われた。

エリーザベト・アンナは夫との間に後継ぎ息子をもうけることなく、夫が大公位を継承する前の1895年に亡くなった。寡夫となったフリードリヒ・アウグストは、1896年に完成したオルデンブルク市の新宮殿に亡き妻の名前を付け、エリーザベト・アンナ宮殿(Elisabeth-Anna-Palais)とした。夫はその後、メクレンブルク=シュヴェリーン大公フリードリヒ・フランツ2世の娘エリーザベト・アレクサンドリーネと再婚した。

子女

参考文献

  • Radziwill, Catherine (1915). Memories of Forty Years. London: Funk & Wagnalls Company