エマニュエル・モーリス (エルブフ公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エマニュエル・モーリス・ド・ギーズ=ロレーヌ
Emmanuel Maurice de Guise-Lorraine
エルブフ公
在位 1748年 - 1763年

出生 (1661-08-07) 1661年8月7日
フランス王国パリ
死去 (1748-05-17) 1748年5月17日(86歳没)
フランス王国
家名 ギーズ家
父親 エルブフ公シャルル3世
母親 エリザベート・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ
テンプレートを表示

エマニュエル・モーリス・ド・ギーズ=ロレーヌEmmanuel Maurice de Guise-Lorraine, duc d'Elbeuf, 1677年12月20日 - 1763年7月17日)は、フランスの貴族、軍人。エルブフ公(1748年 - 1763年)。

生涯[編集]

エルブフ公シャルル3世とその2番目の妻でテュレンヌ大元帥の姪にあたるエリザベート・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュの間の息子として、パリで生まれた。スペイン継承戦争中の1706年、ナポリにおいて神聖ローマ皇帝ヨーゼフ1世に陸軍中将として仕官することになり、フランス王ルイ14世の宮廷から追放処分を受けた。ルイ14世没後の1719年、フランスに戻って資産を回復した。宮中ではエルブフ公(prince d'Elbeuf)の儀礼称号で呼ばれたが[1]、1748年に兄アンリからエルブフ公爵家の家督を継いだ。2度結婚したが子供がなく、同族の遠戚であるランベスク公シャルル・ウジェーヌを後継ぎとした。

ナポリ滞在中にポルティチ郊外に建築家フェルディナンド・サンフェリーチェの設計により屋敷ヴィラ・デルブフ(Villa d'Elboeuf)を建てて、1711年から1716年まで住んでいた。この屋敷の井戸を掘っていた1709年、古代の円形劇場の遺跡が発見され、古代ローマ時代の都市ヘルクラネウム発掘の端緒となった[2]。1738年、ナポリ王カルロ(後のスペイン王カルロス3世)夫妻はヴィラ・デルブフに魅了され、この地にポルティチ宮殿の建設を命じた。

脚注[編集]

  1. ^ Velde, François. “The Rank/Title of Prince in France, French Heraldry and Related Topics”. Genealogics .org. 2010年3月1日閲覧。
  2. ^ 岡田温司グランドツアー岩波新書、2010年、P114

参考文献[編集]

  • Georges Poull, La maison ducale de Lorraine, 1991
先代
アンリ
エルブフ公
1748年 - 1763年
次代
シャルル・ウジェーヌ