インドネシア鉄道公社BN-Holec電車

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INKA EA101系
"BN-Holec"
山積みにされたBN-Holec電車の廃車体(左上、右下)
基本情報
運用者 インドネシア鉄道公社PT Kareta Api→PT KAI Commuter Jabotabek→PT KAI Commuter Indonesia
製造所 La Brugeoise et Nivelles SA(BN)英語版インダストリ・クレタ・アピ、Holec(電気機器)
製造年 1994年 - 2001年
運用開始 1994年(非冷房)
2014年(冷房)
運用終了 2012年(非冷房)
投入先 KRLコミューターライン
主要諸元
編成 4両編成(Tc+M1+M2+Tc)
8両編成(Tc+M1+M2+M1+M2+M1+M2+Tc)
(Tc+M1+M2+Tc+Tc+M1+M2+Tc)
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1,500 V
架空電車線方式
自重 32.0 t(Tc)
39.0 t(M1、M2)
台車 ボルスタレス台車
主電動機 DMKT 53/17(2043 rpm)
主電動機出力 180 kw
歯車比 7.07(99:14)
制御方式 VVVFインバータ制御GTOサイリスタ素子
備考 数値は[1][2][3][4][5]を参照。
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BN-Holec(ビーエヌ・ホレック)は、かつてインドネシアの首都であるジャカルタ都市圏の電化鉄道路線(KRLコミューターライン)で運用されていた KL3-94/96/97/98/99/2000/2001形電車の通称である。この項目では、BN-Holecから改造された各種鉄道車両についても解説する[1]

概要[編集]

1992年から1993年にかけて製造されたKL3-92/93形 "ABB-Hyundai"に続き、ジャカルタ都市圏の電化路線に導入が行われた電車。車体はベルギーのLa Brugeoise et Nivelles SA(BN)英語版(現:ボンバルディア・トランスポーテーション)によって設計が行われたステンレス製で、前面は繊維強化プラスチックによって構成され水色や橙色などの塗装に塗られていた。制御装置はオランダのHolecが製造したGTOサイリスタ素子VVVFインバータ制御が用いられた[1]

なお1994年に製造された初期車は欧州で製造された完成車両がインドネシアに輸送されたが、1995年以降はインドネシアの国営企業であるインダストリ・クレタ・アピがベルギー・オランダ各企業からの支援を受けてノックダウン製造を実施しており、インドネシア国内で最終組み立てが行われた初の電車となった。これらの車両については前面の形状が変更されている[1][4][6]

運用[編集]

1994年から2001年にかけて4両編成32本(128両)が製造された。主に4両編成を2本繋いだ8両編成で運用された他、編成の組み換えによる8両固定編成(6M2T)も導入された[1][2]

だが、現地の架線電圧が不安定である事から複雑な機構を有するVVVFインバータ制御装置の故障が頻発し、維持費も高騰した事から2001年以降は予備部品確保のための廃車が行われるようになった。更に都営6000形電車から始まった日本の中古電車の大量導入により運用の離脱が進み、冷房化や電気式気動車への改造が行われた編成を除き2012年までに全車廃車となった[1][7]

改造[編集]

電気式気動車化(KRDE)[編集]

INKA ME201系気動車
ウェイツ駅を出発するME201系気動車
基本情報
運用者 インドネシア鉄道会社
製造年 2006年 -
改造所 インダストリ・クレタ・アピ
主要諸元
編成 5両編成(Tec+M+T+T+Tc)
軌間 1,067 mm
設計最高速度 100 km/h
車両定員 座席20人(Tec)
座席64人(M、T)
座席54人(Tc)
全長 20,700 mm
全幅 3,180 mm
全高 3,460 mm
床面高さ 1,100 mm
台車 ボルスタレス台車
機関出力 1,350 kw
主電動機 DMKT 53/17(2043 rpm)
主電動機出力 180 kw
制御方式 VVVFインバータ制御IGBT素子)
制動装置 電気ブレーキ空気ブレーキ(電空併用ブレーキ)
備考 数値は[5][8]を参照。
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故障の頻発により導入から数年 - 十数年での営業運転離脱を余儀なくされたBN-Holecの多くの車両は、一方の先頭車(Tec)の車内(運転台側)に大型の発電機を搭載し、それを用いて中間電動車(M)の床下に設置された既存の電動機を駆動させるという電気式気動車に変更された他、冷房装置の搭載や前面形状の変更などの改造も施された[8]

2006年にスラカルタ(ソロ) - ジョグジャカルタ間を結ぶ快速列車であるプランバナン・エクスプレスインドネシア語版に導入され、本数増加や所要時間の短縮などにより利用客から高い評価を受けて以降、インドネシア各地の非電化区間の近郊・中距離列車に用いられている[8]

冷房化(BN-Holec AC)[編集]

営業運転を離脱した車両のうち24両については冷房装置の設置や前面の改造、8両固定編成化などの改造を実施し、2014年以降KRLジャボタベックの電化路線で営業運転を再開している[1][9]

関連形式[編集]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g 古賀俊行 2014, p. 67-68.
  2. ^ a b laporan kecelakaan kereta api” (PDF). KNKT (2005年4月). 2019年6月24日閲覧。
  3. ^ Motor Traksi”. PT. Pindad (Persero). 2019年6月24日閲覧。
  4. ^ a b Design of traction motor 180kW type SCIM for KRL (EMU) Jabodetabek re-powering project” (2014年). 2019年6月24日閲覧。
  5. ^ a b KERETA BERPENGGERAK - ウェイバックマシン(2017年6月6日アーカイブ分)
  6. ^ a b New Electric Railcar Series KL3-97 for Jabotabek - ウェイバックマシン(2001年3月1日アーカイブ分)
  7. ^ PENGEMBANGAN RESTRUKTURISASI PT KERETA API (PERSERO) DIVISI ANGKUTAN PERKOTAAN JABOTABEK” (PDF). Universitas Diponegoro (2007年). 2015年4月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月24日閲覧。
  8. ^ a b c 古賀俊行 2014, p. 258-259.
  9. ^ Majalah KA Edisi Juni 2014

参考資料[編集]

  • 古賀俊行『インドネシア鉄道の旅 魅惑のトレイン・ワールド』潮書房光人社、2014年7月。ISBN 978-4-7698-1573-0