イネス・リグロン
イネス リグロン | |
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生誕 |
1962年11月16日(61歳) フランス パリ |
職業 | 実業家、ミス・コンテスト主宰者 |
配偶者 | ケン・バーガー(SMJ代表取締役) |
子供 | 息子3人 |
イネス・リグロン(Inés Ligron、女性、1962年11月16日 - )は、フランス人の実業家である。
1998年(平成10年)から、『ミス・ユニバース・ジャパン』を主宰し、2007年(平成19年)に優勝した森理世をはじめ、多くの日本代表をミス・ユニバース世界大会で入賞させたことで知られる。
人物
フランス・パリに生まれ、同国南部のモンペリエを出身地としている。地元の高校を卒業後には、美容学校で学んだ。
来日以前
美容学校に在学中だった18歳のときに結婚。21歳で長男を出産し、同年にビューティーサロンを開業した[要出典]。その後、24歳で離婚し、その翌年には「何か新しいことをしたい」とサロンを売却、息子を連れてスペインへ移住した[要出典]。
その後、出張先の香港で現在の夫と出会い、再婚、拠点を香港へ移す。31歳の時に香港で、モデル事務所 IMGモデルのアジア・パシフィック・ディレクターとなり、同時に「IBG(インター ボーテ グループ=Inter Beaute Group)」を設立した[要出典]。
「ミス・ユニバース・ジャパン」
1998年(平成10年)、米不動産王でミス・ユニバース主催者のドナルド・トランプから指名され、“ミス・ユニバースを目指す日本人女性のコーチ”としてナショナル・ディレクターに就任。翌1999年(平成11年)12月には、ミス・ユニバース・ジャパンの権利そのものをトランプから買い取りアイビージージャパン株式会社を設立した。
リグロンの指導でTOP5に残ったのは3人。2003年の宮崎京(世界大会第5位)を皮切りに、2006年の知花くらら(世界大会第2位)、続く2007年には森理世が世界大会第1位、1959年の児島明子以来48年ぶりに日本発のミス・ユニバースを生み出した。2007年世界大会で「ベスト・ナショナル・ディレクター(Best National Director award for Miss Universe 2007)」を受賞。
著書
- 世界一の美女の創りかた(2007年12月7日、マガジンハウス)ISBN 978-4838718337
- 「世界一の美女」になるシークレット・レッスン(TODAYムック)(2008年3月、主婦と生活社)ISBN 978-4391626230
- 世界一の美女の創りかた PART2(2008年12月10日、マガジンハウス)ISBN 978-4838719341
脚注