アンドレア・デル・サルト
アンドレア・デル・サルト Andrea del Sarto | |
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自画像 | |
誕生日 | 1486年7月16日 |
出生地 | フィレンツェ |
死没年 | 1531年1月21日 |
死没地 | フィレンツェ |
アンドレア・デル・サルト(Andrea del Sarto, 1486年7月16日 - 1531年1月21日)は、ルネサンス期のイタリアの画家、金細工師。
概要
本名はアンドレア・ダニョーロ・ディ・フランチェスコ(Andrea d'Agnolo di Francesco)[1] 。イタリアのゴシック期、ルネサンス期の画家には、もっぱら通称で呼ばれる者が多いが、彼もその1人で、「アンドレア・デル・サルト」は「仕立て屋のアンドレア」の意である[2]。ミケランジェロやラファエロらがローマで華々しく活躍していたのと同じ頃、フィレンツェの美術の伝統を守っていた画家である。
1486年、フィレンツェに生まれ、徒弟時代はフィレンツェ派の巨匠の一人であるピエロ・ディ・コジモに師事する。1518年から翌年にかけてフランス王フランソワ1世に招かれ、フォンテーヌブローへ赴いた。代表作である『アルピエ(ハルピュイア)の聖母』には、安定した三角形構図(中央の聖母の頭部と、両脇の聖人の頭部を結んだ線が三角形をなす)、甘美な色彩、レオナルド・ダ・ヴィンチの影響が見られるスフマート(もやのかかったように表す描法/霧状効果)技法などの、アンドレアの画風の特色が見られる。アンドレアの弟子からはポントルモ、ロッソ・フィオレンティーノなど、次世代のマニエリスム絵画を担う画家が出ている。
代表作
- 聖フィリッポの死(1510)(「聖フィリッポ・ベニッツィの生涯」の連作、フィレンツェ、サンティッシマ・アンヌンツィアータ聖堂前庭回廊)
- 少年としての洗礼者聖ヨハネ(フィレンツェ、パラティーナ美術館)
- 聖母子と幼児の洗礼者ヨハネ(1514年)(ローマ、ボルゲーゼ美術館)
- ハルピュイアの聖母(1517年)(フィレンツェ、ウフィツィ美術館)
- パッセリーニの聖母被昇天(1526年)(フィレンツェ、パラティーナ美術館)
- 階段の聖母 (1522-1523年)(マドリード、プラド美術館)
脚注
- ^ Nesi, Alessandro. “Ser Spillo: Fratello di Andrea del Sarto”. Maniera 2016: 2 .
- ^ Shearman, John (1965). Andrea del Sarto. Oxford
作品解説
- 『アンドレア・デル・サルト.マニエリスムへの流れ』 セレーナ・パドヴァーニ
- 宮田克人訳、京都書院〈カンティーニ美術叢書4〉、1995年-大著・絶版