粟田彰常
彰常王 粟田彰常 | |
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粟田侯爵(1940年 - 1947年) | |
身位 | 王→臣籍降下 |
敬称 |
殿下→臣籍降下 His Imperial Highness |
出生 |
1920年5月13日 東京府東京市 |
死去 |
2006年8月30日(86歳没) |
配偶者 | 畠中久江 |
子女 |
粟田常一 粟田彰彦 |
父親 | 東久邇宮稔彦王 |
母親 | 王妃聡子内親王 |
粟田 彰常 | |
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生誕 | 1920年5月13日 |
死没 | 2006年8月30日(86歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1940 - 1945 |
最終階級 | 陸軍大尉 |
戦闘 | 第二次世界大戦 |
除隊後 | 東京都庁勤務 |
粟田 彰常(あわた あきつね、1920年(大正9年)5月13日 - 2006年(平成18年)8月30日)は、日本の皇族、華族、陸軍軍人。陸軍大将東久邇宮稔彦王第三王子で、母は明治天皇第九皇女東久邇聡子。兄に盛厚王、師正王、弟に俊彦王がいる。階級は陸軍大尉、勲等は勲一等旭日桐花大綬章、爵位は侯爵。皇族時代は彰常王と称された。
1940年(昭和15年)5月に皇族議員として貴族院議員となり、同年9月陸軍士官学校(54期)を卒業する。翌月の10月25日願による臣籍降下が認められ、昭和天皇から粟田の氏を賜り、侯爵の爵位を授けられ華族に列せられた。賜った粟田の氏の由来は、彰常の祖父にあたる久邇宮朝彦親王が、還俗する前に門主を務めていた青蓮院の所在地である洛東粟田口にちなむ。粟田侯爵家は日本で最後に創設された侯爵家であった。
1947年(昭和22年)5月3日に日本国憲法が施行され、華族制度が廃止されたため華族の身分を失う。戦後は東京農業大学を卒業して東京都建設局に勤務し、1956年より飼育係として上野動物園に入り、ニワトリやヤギなど多くの生き物の飼育を担当。1973年に多摩動物公園に移り、定年まで普及指導係長として務めたのち、公益財団法人馬事文化財団(日本中央競馬会外郭団体)に所属した[1]。家庭では2人の男子・粟田彰彦(東急エージェンシー)、粟田常一(熊谷組)をもうけた。
脚注
- ^ 『門閥―旧華族階層の復権』佐藤朝泰、立風書房 (1987/03), p40
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
侯爵 粟田家初代 1940年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |