Wikipedia:削除された悪ふざけとナンセンス/計画通り

There is no Cabal
There is no Cabal

計画通り(けいかくどおり、英語:Keikaku Street)は、大阪府の府道Uso800号線[1]。大阪市浪速区恵比寿東一丁目の通天閣南側より恵比須東三丁目にかけて南北に走る長さ200mの道路である。1912年に建設された。

一般府道
大阪府道Uso800号線
陸上区間 0.2km
海上区間 指定なし
制定年 1912年
起点 大阪市浪速区恵比寿東一丁目
終点 大阪市浪速区恵比寿東三丁目
テンプレート(ノート 使い方) PJ道路
計画通り
計画通り
計画通り

歴史[編集]

建設[編集]

計画通りを建設したのは、当時吉良土地開発の社長を務めていた夜神月である。夜神は広大な空き地となっていたこの地域に歓楽街を中心とした一大都市を開発することをもくろみ、厳密な都市計画に基づいて地割を行い、都市開発をおこなった。その際町の中心を貫くように最初に建設されたのがこの通りである。当時は近代的な都市計画による街づくりが非常にめずらしかったため、この名前がつけられた。道路の完成を知らされたとき、彼は一言「計画通り」と新しい通りの名前をつぶやき、非常に満足げな笑みを浮かべたといわれる[2]

この計画通りを中心として街区が整えられ、できた地域名は「新世界」と名づけられた。新世界の中央には半円形の広場が作られ、そこから北には放射状に道路が作られて、周辺にはルナパークと呼ばれる遊園地が建設された。ルナパークの名は、町の建設者である夜神月の名にちなんでつけられた。本来なら名にちなんで「ライトパーク」という名になる予定であったといわれるが、当時の建設文書によると、「どう読んでも月をライトとは読めない」として内務省が施設名に難色を示し、妥協案として月をルナと読むことで合意に至ったという[3]

君臨[編集]

夜神月
夜神月像

夜神はこの街に君臨し、さらにその上を望んだ。当時の「僕は新世界の神になる」という彼の発言が、部下であった出須隆久の回顧録「出須日記」によって伝えられている。(なお、出須はこの発言を聞いた感想として「大阪人って…面白!」と記している)[4]。このため、街区の中心に当時に日本一の高さを誇った塔を建設し、神へと到るための建物として、これを通天閣と名づけた。さらに夜神は彼の姿に似せて作られた像を通天閣の上に設置し、その像から新世界を睥睨できるようにした。このころ新世界を訪れたイギリスの作家オルダス・ハクスリーはこうした状況に衝撃を受け、後年彼の代表作とされる「すばらしい新世界」を執筆したことはあまりにも有名である[5]

死後[編集]

こうして新世界を築き上げていった夜神であるが、彼の姿勢は非立憲的であるとして各界から批判が強まっていった。新世界完成から2年後、彼は謎の突然死を遂げる。

彼の死後、新世界の秩序は瓦解し、次第に混沌とした町に姿を変えていった。計画通りには串カツ屋が立ち並び[6][7]、大きなフグの提灯が上空へと浮かぶようになった。計画通りが夜神の計画とかけ離れた混沌とした通りとなっていく中で、ひとり夜神像だけは現在も通天閣の上に鎮座し、住民の尊崇を集めている。

関連項目[編集]


脚注[編集]

  1. ^ 府道800番台は自転車道だって?こまけぇこたぁいいんだよ!」p800 卯月旦著 民明書房 2012年4月1日発行
  2. ^ 「出須日記」p4649 出須隆久 民明書房 1978年4月1日初版第1刷
  3. ^ 「desu note研究」p53 エイプリル・ライアー著、大洞ふき訳 中州産業大学出版局 2012年4月1日発行
  4. ^ 「出須日記」p5963 出須隆久 民明書房 1978年4月1日初版第1刷
  5. ^ 「desu note研究」p1984 エイプリル・ライアー著、大洞ふき訳 中州産業大学出版局 2012年4月1日発行
  6. ^ 「ソースの2度づけ禁止」エイプリル・ファースト出版 2012年4月1日発行
  7. ^ 「ソースの2度づけ禁止」エイプリル・ファースト出版 2012年4月1日発行 大事なことなので2度つけました。