Wikipedia‐ノート:素晴らしい記事を書くには

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書き加えても大丈夫なんでしょうか?[編集]

誤字や2007年現在のWikipediaにそぐわない記述などもありましたので、一部加筆修正しましたが、加筆すること自体に問題がありましたらご指摘ください。--ZERO 2007年1月6日 (土) 13:58 (UTC)[返信]

統合および一部転記を提案[編集]

Wikipedia:コンテクストを確立するWikipedia:素晴らしい記事を書くにはへ統合し、Wikipedia:スタイルマニュアルの一部をWikipedia:素晴らしい記事を書くにはへ転記し、さらにWikipedia:素晴らしい記事を書くにはの一部をWikipedia:記事を執筆するへ転記することを提案します。Wikipedia:コンテクストを確立するは対応する英語版が統合済みです。Wikipedia:スタイルマニュアルの一部はWikipedia:素晴らしい記事を書くにはと重複であり、Wikipedia:素晴らしい記事を書くにはの一部はWikipedia:記事を執筆すると重複です。--Cave cattum 2007年6月25日 (月) 15:43 (UTC)[返信]

(報告)整理・統合が完了しました。--Cave cattum 2007年7月2日 (月) 14:17 (UTC)[返信]

フィクション系の記事は分割禁止?[編集]

「フィクションを明確に区別」の節に、

フィクションの登場人物、場所、物事などについての小さい項目を不必要に作成することはしないでください。それらは大きな項目に統合されるべきです。

とありますが、これは「フィクション系の記事は分割禁止」ということなのでしょうか。例えば、ある作品の記事で登場人物関連の文章が増大したら、登場人物の記事を分割するのではなく文章量を削減することのみで対処しなければならないということなのでしょうか。--Avanzare 2007年8月28日 (火) 01:58 (UTC)[返信]

おっしゃる通りです。この「素晴らしい記事を書くには」がどこまで強制力があるのかは、正直わからないところもあるのですが、少なくとも尊重すべきガイドラインであり、フィクション関係でそのガイドラインが踏みつけにされていたのは事実でしょう。自分の意見ですが、サブカルチャー系のフィクション関係はアニメ・特撮マニアである自分の眼で見ても「知識の物置」になっており、何らかのガイドラインを整備すべき時期に来ていると思います。その段階が終了した時点で、分割の是非や、手が着けられないほど分割されてしまった項目の整理統合について相談できればと思います。こちらで討議中ですのでお目通しください。Wikipedia‐ノート:過剰な内容の整理--貧乏神博士 2007年9月8日 (土) 02:34 (UTC)[返信]
「フィクションの登場人物、場所、物事などについての小さい項目を不必要に作成することはしないでください。」に対し、
「ある作品の登場人物のリストを作成するよりも、その作品が持つ価値や社会への影響について述べる方が、百科事典の記事としてずっとふさわしいはずです。」
の説明では、理由が不明確以前に個人的な価値観であり信念です。
また、社会への影響について調べられたフィクションは、少数でしょうし、独自研究は禁止されています。
フィクションの価値は、中立性、検証性で扱い難い問題です。
書き込みを削除していいでしょうか? --Nanashi774 2008年2月15日 (金) 05:10 (UTC)[返信]
たとえば「源氏物語」というフィクションに関する研究は膨大に存在し、「社会への影響」は多大であり、「中立性、検証性」を十分に満たす記述が可能であり、それをみんな目指してします。創作文芸・映画・その他作品の記述を百科事典に載せるということは、大なり小なりそれと同種のことです。Nanashi774さんのおっしゃることは、まったく的をはずしています。--アイザール 2008年2月15日 (金) 17:35 (UTC)[返信]
記事について返事をしたいのですが、同一人物の管理人に付きまとわれているみたいで、これ以上この編集に関わると、管理者権限により不利益なことをされる危険性があるので、一旦この編集に関わることを控えます。
前に、山田路子(少女漫画家)のページにあるリンクの更新をした瞬間に、編集を元に戻され、そして瞬間のできごとだったので編集がうまく行かなかったのかと思い、その更新を続けて行った瞬間に、山田路子の項目全体が削除されたことがありました。
(「瞬間」とは、編集作業を完了してから、編集を確認するまでの間です)
そして今回、ここの書き込みを行った同じ日に、同じ管理人から、私の利用者のノートに、
「どうしても通したいということであればウィキペディアではないところでご自由にやっていただくほうがいいとおもいます。--海獺(らっこ)」
との書き込みがありました。--Nanashi774 2008年2月26日 (火) 04:45 (UTC)[返信]

指摘されていることを守らないで編集しなければ、またウィキペディアの方針を守り百科事典の編集にふさわしいものであれば、不利益は受けませんよ。らっこさんだけではなくアイザールさんからも「的をはずしている」と言われていることを、しっかり考えてみてください。--Ks aka 98 2008年2月26日 (火) 04:52 (UTC)[返信]

統合提案[編集]

Wikipedia:他言語の使用は控えめにWikipedia:素晴らしい記事を書くにはへの統合を提案します。Wikipedia:他言語の使用は控えめには英語版から翻訳された文書ですが、対応する英語版が統合済みであるためです。--Cave cattum 2007年9月3日 (月) 14:36 (UTC)[返信]

(報告)統合いたしました。--Cave cattum 2007年9月15日 (土) 16:53 (UTC)[返信]

「他言語表記は控えめに」の確認ですが[編集]

他言語表記は控えめに」節の意味が分からないので確認させてください。「他言語表記」「外来語」「ネイティブな表記」「カタカナ表記」という、似たような4つの言葉が使われていますがこれらは同じ1つのことを指しているのでしょうか?

具体的に百科事典を例にとれば、

  • 百科事典
  • エンサイクロペディア
  • Encyclopedia

これらのうちでエンサイクロペディアが「他言語表記」「外来語」「ネイティブな表記」「カタカナ表記」という意味にあたるのでしょうか?もしかすると4つのうち「ネイティブな表記」だけはEncyclopediaであり、「原語」と同じことを言葉を換えているのでしょうか? もしそうであれば、「ネイティブな表記」は「原語」に換えて、他の3つ「他言語表記」「外来語」「カタカナ表記」もどれか1つの表現にまとめたほうが良いかもしれません。

いずれにしても、1つの対象を表現するのに短い文の中で連続的にいくつもの表現を使うのは理解に支障が出るので、出来るだけ単純に1つの表現だけ使うほうが良いと思います。

もし、どなたからも応答がいただけないまま1週間~2週間程度過ぎた場合は、勝手ながら上記の「他言語表記」「外来語」「カタカナ表記」を1つにまとめ、「ネイティブな表記」、「原語」を1つにまとめるという方法で、表現方法をそれぞれ1つづつに統一し、百科事典の例を加える編集をさせていただきます。Tosaka 2008年3月23日 (日) 13:36 (UTC)[返信]

こんにちは。以下のような感じだと思います。
  • 外来語というのは、他国由来の言葉全般。ここでは一般にカナ表記が用いられていることに限定されるのかもしれない。
  • 他言語表記というのは他の言語による表記全般で、ネイティブな表記に限定しない。musicとかmusikとかmusiqueとか。
    • 他言語に依存した例としてはこんな感じ→[1]
  • ネイティブな表記というのは、ギリシャ#国名のようなもの。その語の由来となる表記。
  • カタカナ表記というのは、「エンサイクロペディア」のような、音転写を指し、表記ゆれというのはたとえば「エンサイクロピーディア」。
なので、それぞれに言い換えるとか、文章の意味をとりやすくすることはできるかもしれませんが、「他言語表記」「外来語」「カタカナ表記」をまとめる、というのは、ちと違うように思います。--Ks aka 98 2008年3月23日 (日) 15:08 (UTC)[返信]
こんにちは、早速ご回答戴きありがとうございます。さて、ご説明いただいたようにそれぞれ別々の単語を示す可能性も少しは考慮いたしましたが、それではあまりにも説明文として複雑すぎるためそれはないだろうと考えていました。なんとなく、問題点が見えてきたようです。つまり表現の問題では無く、不必要に条件をややこしくしているだけではないでしょうか? この節で本来言いたいことは以下の3点ではないでしょうか。
  • 本文中で外来語の使用は避ける  (多分アルファベットも良くないでしょう)
  • 外来語を使う場合でも、外来語から別記事へのリンクがあれば説明するための原語の併記などはしない
  • 記事名が外国語由来で元となった単語の表記が可能なら、冒頭の定義文で括弧内に書けばよい
これらの条件さえ過不足なく伝えられれば良いのではないでしょうか?以下に提案を示します。
私の提案
外来語(カタカナ)による表現は控えめにしましょう。英語のようなアルファベットの単語もそうですが、付加的な情報として外来語などを利用することは良い方法ですが、読み手に外来語などへの知識を求めるような文章は出来るだけ避けてください。本文にある外来語などについては、それが独立した別ページになりそうな場合はその原語などを併記する必要はありません。例えば「ようこそインターネット上のエンサイクロペディア(Encyclopedia)であるウィキペディアへ!」と書かれた場合のEncyclopediaは不要です。特にその外来語がブラケット ([[]]) で囲まれて別の記事へのリンクとなっている場合には、原語などの説明はリンク先に任せて記事中では併記などはしないで下さい。
記事名が外国語由来であれば、可能な限り、冒頭の定義文で記事名に続く括弧内に元となった単語を表記しましょう。(Unicodeが使えます)。カタカナ表記に曖昧さがあるような場合には特に役立ちます。スタイルマニュアルの導入部に詳しい説明があります。
いま気が付いたのですが、文中で理由に使っているのは「記事名の付け方」のガイドであり、本文中での外来語の扱い方とは無関係であると思いますがいかがでしょうか?上の提案でも省いてあります。
「素晴らしい記事を書くには」の「他言語表記は控えめに」節内
特にその外来語がブラケット ([[]]) で囲まれて別の記事へのリンクとなっている場合には、外来語を併記しないでください。これはWikipedia:記事名の付け方にある「括弧内に原語を併記しないこと」というルールに従うものです。
「記事名の付け方」の「正式な名称を使うこと」節内
括弧内に別名、原語や読み仮名を併記してはなりません。記事名でなく本文で行うようにしてください。
私からは以上です。Tosaka 2008年3月24日 (月) 10:21 (UTC)[返信]

今の説明文で、外来語に関して述べているのは、3文目以降です。他言語と外来語は別です。他言語は日本語以外の言語、外来語は日本語です。外来語を避けるべきという話ではないと思います。もっとも、例えば「百科事典」という語があるのに、わざわざ「このエンサイクロペディアは、……」などのように書くべきではないのは、その通りなのですが、この節の主眼は、Encyclopediaという外国語表記の方でしょう。--oxhop 2008年3月24日 (月) 12:46 (UTC)[返信]

ああ!なるほど、ご説明戴きよく判りました。つまり私が理解できなかったのは最初に「他言語表記」という言葉でつまずいていた訳です。「他言語表記」とは100%「外国語」のことですね。「外国語」と書かずに「他言語表記」と書かれると、別の何かだと考えて理解できなかったのです。私の理解が合っていれば、上記の私の他言語表記の部分を外国語にすればどうですか?Tosaka 2008年3月24日 (月) 13:53 (UTC)[返信]
いやいや。ウィキペディアというのは、「多言語プロジェクト」なのでして、ですね。日本語は、かなり日本という国と強く結びついているとはいえ、国内/国外という区別は、基本的に避けるべきだったりします。なので、「外国語」という表現に置き換えるのは、あまり好ましくないでしょう。Encyclopediaなど、適当に例を挙げることで理解しやすくできないですかね(ちなみにencyclopediaは語源がギリシャで最初に使われたのはドイツでencyclopaediaという綴りだったと記憶しているので、例示するには適当ではないようにも思います)。--Ks aka 98 2008年3月24日 (月) 15:26 (UTC)[返信]
うーん・・・「外来語」が「多言語プロジェクト」で許されて「外国語」がダメというロジックが良くわからないですが、趣旨は理解できます。私なら「多言語プロジェクト」への配慮を優先して現在の難解な記述を続けるということはしませんが、反対なさるようですので提案を取り下げます。本文を読んで判らない人でもここのノ-トでのやり取りを読めば判るでしょうし。では、お付き合い戴きありがとうございました。Tosaka 2008年3月25日 (火) 09:50 (UTC)[返信]


いやいや、わかりにくかったら、直すほうがよいです。「外来語」は使わないほうがいいんじゃないかな。直す方向には、突っ込みを入れますが(むしろ対案をちゃんと出せずに申し訳ない)。以下みたいな感じだとわかりにくい?

他言語表記は控えめにしましょう。付加的な情報として他言語を利用することは良い方法ですが、日本語以外の言語に依存するような文章は避けてください。記事名が他言語由来の言葉の場合には、冒頭の定義文でその言葉が出てきたときに、括弧内に他言語による元々の表記を併記しましょう(Unicodeが使えます)。カタカナ表記に曖昧さがあるような場合には特に役立ちます。スタイルマニュアルの導入部に詳しい説明があります。 ただし、本文にある他言語由来の言葉については、それが独立した別ページになりそうな場合はリンクを張り、その先の項目で説明されることが望まれます。

たとえば、「Internet上のEncyclopediaであるWikipediaへようこそ!」「ようこそインターネット上の百科事典であるウィキペディア(Wikipedia)へ!」と書くのではなく、「ようこそインターネット上の百科事典であるウィキペディアへ!」と書くようにしてください。以上の署名の無いコメントは、Ks aka 98(会話履歴)さんによるものです。

「外国」(「外国語」「外国人」「外国地名」)というのは、日本という国を基準に見た場合の言葉なので、「ウィキペディア日本語版は、日本語版であって、日本版ではない」という命題?からすると、それを公の場で使用することは不適切だという論理です。裏側(ノート)で使う分には問題なかろうと思ってますが、検索をすると、表側でも結構使われてますね(適切に使用する分にはOKなので、一律にダメだとはいえませんけど)。「他言語」というのは、「外国語」に比べて、それほど一般的な言葉ではないので、何の説明もなく使うのではなくて、日本語以外の言語であることを補足したらどうでしょう。
これに対して、「外来語」というのは、日本という国ではなくて、日本語に基準を置いた言葉(元来の日本語に対して、他言語から借入した語)なので、これはいいんじゃないでしょうか?
今の文章がわかりにくいのは同感ですから、分かりやすくなるように、書き換えることは私も賛成です。例文はそんなに長くなくてもいいと思いますよ。--oxhop 2008年3月25日 (火) 13:49 (UTC)[返信]

統合作業のやりなおし[編集]

本ノートの上のほうにもありますとおり、2007年6月に統合を実施したのですが、Wikipedia:削除依頼/GFDL上問題のある関連文書‎において統合元の文書のGFDL違反の懸念が指摘されたため、統合作業をやり直しました。これにより、最悪でも中間特定版削除により問題を解消できるようになりました。--Cave cattum 2008年6月3日 (火) 05:24 (UTC)[返信]

「フィクションを明確に区別」の解説について[編集]

フィクションと区別させる記事の例として「小説『めざせダウニング街10番地』に登場する架空の政治家である。」と書かれていますが、「小説『めざせダウニング街10番地』に登場する」ということを最初に書いておけば、それが創作物中の物であることは判断できるので、「架空の」という部分はよけいではないでしょうか。

創作物の中に登場するという解説の後に「架空の」と書き加える事は、「フィクションの中の物である」という説明を2回繰り返しで書いている事になって、あまりスマートではないと思われるし、読み手の解釈の仕方によっては「その番組の中の世界放送されている番組(劇中劇)の中のキャラクター」というふうに誤解されそうな気もするんですけど。--ブラックサンシャイン 2010年3月7日 (日) 17:49 (UTC)[返信]

誰もご意見なさらないようでしたら、そろそろ編集しようと思います。次のような記述はどうでしょうか。


サイモン・カースレイク(Simon Kerslake)は、イギリス保守党所属の下院議員である。

これでは、よく知らない人が読んだら、「サイモン・カースレイク」というイギリスの政治家が本当にいると誤解しかねません。次のように書いてください。

サイモン・カースレイク(Simon Kerslake)は、ジェフリー・アーチャー小説めざせダウニング街10番地』の登場人物である。

必ず、登場する作品の名称を明記してください。それが芸術作品であることが解るよう、「小説」や「映画」等、その作品が属すジャンルを表記しておくことも必要です。作品についての単なるあらすじ紹介のような記事は歓迎されません。…

--ブラックサンシャイン 2010年3月18日 (木) 18:25 (UTC)[返信]

1か月も提案の存在に気付かずに申し訳ないのですが、今回の変更は戻した方がよさそうに思います。ノンフィクション小説や歴史小説などで小説に実在の人物が登場することは珍しくなく、小説の登場人物がすなわち架空の人物であることは自明ではありません。私は「架空」を明記することは必須であると思います。劇中劇の人物と誤解される心配については、ふつう劇中劇についてはその旨特に注記するのが普通ですから、杞憂ではないでしょうか。--cpro 2010年4月5日 (月) 00:37 (UTC)[返信]
私も「架空」の明記は必須であると考えます。Cproさんが既におっしゃっているとおり、フィクションに登場する実在の人物も居るため、その区別のために明確にすべきであると考えます。また、以前目にした議論ですがCategory‐ノート:架空の医師にあるように、架空のキャラクターが何らかの作品に必ず登場するとは限りません。そのため「登場する」を書けない架空のキャラクターも多数居るわけです。キャラクターの中には着ぐるみになるようなチームやスポットのマスコットでだけでなく、プレネールブラック★ロックシューターのようにイラスト単体から派生し展開されていくキャラクターも居ます。VOCALOIDのように、ソフトとそのイメージイラストそのものが、キャラクターとして認知されているような例もあります。作品に登場のないキャラクターが実在の人物を元に作成されることがないとは言えません。キャラクターという単語自体、項目にあるように実在の人物当てはまることもあるため、「キャラクターである」というより記述だけでは「架空である」ということには必ずしもなりません。キャラクターを作り演じながらTV番組に出演したりする実在の人物も居ますし、本人がキャラクターそのものであるという設定の基で活動をするアイドルや覆面レスラーなどのスタイルもあります。そのような様々ある個別の事案に対してバラバラに書くのではなく、「架空のキャラクター」はそのことをあらかじめ簡潔に明記するためにも「架空」の表記は必須であると考えます。--螺旋 2010年4月5日 (月) 01:16 (UTC)[返信]
1週間経過しましたが差し戻しに反対の声はないようです。ブラックサンシャインさんにお知らせしましたので、あと数日待って反応がないようなら差し戻しを実施しようと思います。--cpro 2010年4月12日 (月) 08:14 (UTC)[返信]
小説に実在の人物が登場することというのはつまり、『三国志演義』に「劉備」等の実在の人物が登場する事ですよね?
百科事典で実在の人物の解説を書く場合は通常「劉 備は、後漢末から三国時代にかけて活躍した武将。」などと、飽く迄実在の人物としての解説を書くものであって、「劉 備は、小説『三国志演義』に登場する武将。」と、フィクションの情報を主として書くことは、常識的に考えてありませんよね。なので、「小説『作品名』に登場する~」と書いていれば、普通は主題となっているものが実在のものとは考えないでしょうから、基本的には「架空の」はいらないと思いますよ。--ブラックサンシャイン 2010年4月18日 (日) 09:46 (UTC)[返信]

冒頭の段落について[編集]

記事内容に関する注意点冒頭の段落は明確で簡潔にという説の記述についてですが、

フォード・サンダーバード(Ford Thunderbird)は、フォード社がアメリカ合衆国で製造した自動車である。

となっていますが、 冒頭は、「~は、~である。」の方がよいのではありませんか。

私は、その方がよいと思い、他の記事を編集してきました。

フォード・サンダーバード(Ford Thunderbird)は、フォード社がアメリカ合衆国で製造した自動車である。

この方が、日本語的に、また、百科事典としての記載的に良いのではないでしょうか。 helpページだけに、私個人の判断で勝手に編集できないものですから、みなさん、賛成か反対かなど、意見をください。

しかしながら、実際に記事を見ると、「~は~。」「~とは~。」「~とは、~である。」など、統一されていませんがね。--伊馬似イタル会話2012年3月29日 (木) 09:55 (UTC)[返信]

コメントどれも日本語として間違いではないので、新たなルールは不要だと思いますよ。--伏儀会話2012年8月12日 (日) 05:50 (UTC)[返信]

コメントありがとうございます。確かにそうかもしれません。しかし新しく記事を作ろうと思った方が困惑してしまうのではと思ったのです。それがWikipedia初心者ならなおさらです。そこで、しっかりとルールを作ってそれに従って記事を作ればよい、と言う風にした方がよいと思うのです。--伊馬似イタル会話2012年9月2日 (日) 01:21 (UTC)[返信]

対処 長らく更新できずにいましたが、その後とくに進展がなかったようなので、上記のように変更させていただきます。--伊馬似イタル会話2012年10月13日 (土) 06:00 (UTC)[返信]

格助詞をつけた「とは」では調子が強すぎる場合もあるので「とは」に統一するなどのルールは作るべきではないと考えます。事例によりふさわしいほうを選ぶべきです。人の場合は物のように扱われているように見え、特に不適切と感じます。--Calvero会話2012年10月13日 (土) 06:10 (UTC)[返信]

コメントありがとうございます。その通りですかね。伏儀さんも日本語としては間違っていないとおっしゃっていますし、とりあえずは、新しいルールを作り、無理に統一することはやめましょうかね。記事の取り消し、ご苦労様でした。--伊馬似イタル会話2012年11月1日 (木) 12:07 (UTC)[返信]

定義と第1段落の混同状態の解消ほか[編集]

定義と第1段落の混同されたような説明になっているため、冒頭が定義のみとなるような誤解が生じうる文章であったと思われます。そこを解消し導入部としての考え方を反映しました。この文書は、2008年に統合によって完成され、その統合前の文章は2003年あたりのものも多く、他のガイドラインと齟齬ができていたのではと考えられます。この文書のガイドライン等の位置づけが分からないのですが、修正内容を記します。

追加した文章:導入部についてです。「記事の冒頭の段落は、明確で簡潔な、1行か2行の説明で始めてください」とありましたが、その直後の例示が定義だけになっているため、定義の説明へと変更しました。「冒頭の段落は明確で簡潔に」の節から、フォード・サンダーバードの例の部分を英語版を参考に「読者に文脈を提供する」という節に分化しました。「続いて定義を捕捉する」という節を作り、ブリタニカ百科事典の第一段落を複製し例を挙げました。「導入部:続いて要旨を提供する」という節を作り、導入部としての完成形までを簡単に説明しました。

文意の変更のないもの:「記事内容に関する注意点」という節名を「記事のスタイル」とし、「分量のバランスに注意」と「画像を付け加える」を移動しました。言葉の表現的なガイドラインを反映した「分かりやすく具体的に説明する」という節を作り、5つの節を移動しました。色んな節の直下にて、Seealsoで関連するガイドライン等へリンクしました。--タバコはマーダー会話2015年11月11日 (水) 16:57 (UTC)[返信]

続いて、冒頭にまとめを示し、単なる例であることが脚注文章の最後に追いやられていて分かりにくくなっている部分を訂正しました。
追加した文章:冒頭にまとめを示しました。脚注内で単なる例とされていて分かりにくい部分「スタイルマニュアル (人物伝) には、人物に関する記事の形式について詳しく書かれています。正式な形式はこちらで定義されており、ここで述べているのは単なる例です」を、脚注を外して訂正し、「ここで述べるのは簡単な例であり、ガイドラインに従った例は、導入部の第1段落の例人物における例に挙げられています」としました。
簡単な変更:Seealsoを追加しました。リンクに関する節を「記事のスタイル」節へ移動する。いくつかのカタカナ語を日本語にする(ポイント→要点 トピック→主題 ネイティブ→原語)。「注意」という括弧された文章が長く、また括弧内の括弧が2つあるので読みにくいため、外側の括弧を外し、「文字飾りには凝りすぎない」節の直後にもあるため太字の強調を外し、またコード部分にコードを意味するタグを付加しました。--タバコはマーダー会話2015年11月12日 (木) 03:41 (UTC)[返信]