ULTIMO DRAGON GYM王座
ULTIMO DRAGON GYM王座(ウルティモ・ドラゴン・ジム・おうざ)は、かつて存在したプロレスのシングル王座。日本のプロレス団体「闘龍門JAPAN」が管理した。略称はUDG王座(ユー・ディー・ジー・おうざ)。
現在、DRAGON GATEが管理する王座であるオープン・ザ・ドリームゲートの前身となる。
概要
2003年、闘龍門JAPANの独自のシングル王座として企画され、同年4月の総当たりシングル・リーグ戦「エル・ヌメロ・ウノ(EL NUMERO UNO)」の優勝者が初代王者として認定されることとなった。同リーグ戦はCIMAが制し、初代王者になった。
その後は4代3名の王者が誕生したが、2004年7月に闘龍門ジャパンが改組・改称し新たにDRAGON GATEへ移行することから、それに合わせて王座も一新されることとなった。ULTIMO DRAGON GYM王座は廃され、それを受け継ぐ新王座「オープン・ザ・ドリームゲート王座(OPEN THE DREAM GATE)」へ移行することとなったため、最終王者となるCIMAは王座を返上、オープン・ザ・ドリームゲート選手権の初代選手権者へ認定された。
最多防衛・最長保持記録は、2代王者のマグナムTOKYO(3度防衛、7ヶ月9日間保持)。
王者変遷
代位 | 選手 | 防衛数 | 奪取年月日 | 奪取試合会場(対戦相手等) | 備考 |
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初 | CIMA | 1 | 2003年4月22日 | 東京・国立代々木競技場第2体育館(堀口元気) | エル・ヌメロ・ウノ優勝決定戦 |
2 | マグナムTOKYO | 3 | 2003年6月29日 | 神戸・ワールド記念ホール(CIMA) | |
3 | SUWA | 0 | 2004年2月8日 | 福岡・博多スターレーン(マグナムTOKYO) | 2004年4月25日、名古屋国際会議場にて返上(負傷のため) |
4 | CIMA | 0 | 2004年7月4日 | 神戸・ワールド記念ホール(近藤修司) | 2004年7月5日返上 → 初代オープン・ザ・ドリームゲート選手権者へ移行 |
選手権試合概要
試合年月日 | 勝利選手 (王者の場合は太字) |
敗北選手 (王者の場合は太字) |
試合時間 | 決め技 | 試合形式等 | 試合会場 ツアー・興行名(試合順) |
備考 |
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2003年4月22日 | CIMA | 堀口元気 | 19分07秒 | マッド・スプラッシュ ~片エビ固め |
エル・ヌメロ・ウノ優勝決定戦 時間無制限1本勝負 |
東京・国立代々木競技場第2体育館 EL NUMERO UNO 2003 (メインエベント) |
CIMAが初代王者となる |
2003年5月5日 | CIMA | ウルティモ・ドラゴン | 20分04秒 | マッド・スプラッシュ ~片エビ固め |
60分1本勝負 | 東京・後楽園ホール EL NUMERO UNO SPECIAL (メインエベント) |
CIMAが初防衛 |
2003年6月29日 | マグナムTOKYO | CIMA | 27分25秒 | AVスター・プレス ~体固め |
60分1本勝負 | 神戸・ワールド記念ホール IVrt Aniversario (メインエベント) |
CIMAが2度目の防衛失敗 マグナムTOKYOが2代王者となる |
2003年7月23日 | マグナムTOKYO | ドン・フジイ | 20分20秒 | AVスター・プレス ~片エビ固め |
60分1本勝負 | 東京・後楽園ホール Verano Peligroso (メインエベント) |
マグナムTOKYOが初防衛 |
2003年11月3日 | マグナムTOKYO | 新井健一郎 | 21分39秒 | 変型ラ・マヒストラル | 60分1本勝負 | 新潟・フェイズ Battalla de Otono II (メインエベント) |
マグナムTOKYOが2度目の防衛 |
2003年12月16日 | マグナムTOKYO | ミラノコレクションA.T. | 25分20秒 | AVスター・プレス ~片エビ固め |
60分1本勝負 | 東京・国立代々木競技場第2体育館 LA ULTIMA CAIDA (メインエベント) |
マグナムTOKYOが3度目の防衛 |
2004年2月8日 | SUWA | マグナムTOKYO | 21分45秒 | FFF ~体固め |
60分1本勝負 | 福岡・博多スターレーン EL MES EL AMOR Y LA AMISTAD (メインエベント) |
マグナムTOKYOが4度目の防衛失敗 SUWAが3代王者となる |
2004年4月25日 SUWAが負傷のため、EL NUMERO UNO 2004 名古屋国際会議場にて王座返上 | |||||||
2004年7月4日 | CIMA | 近藤修司 | 22分4秒 | FFF ~体固め |
王座決定トーナメント決勝戦 時間無制限1本勝負 |
神戸・ワールド記念ホール Vo Aniversario (メインエベント) |
CIMAが4代王者となる |
2004年7月5日 新王座「オープン・ザ・ドリームゲート」へ移行のため、CIMAが王座返上 |
参考サイト
- DRAGON GATE:ドラゴンゲート公式サイト UDG選手権2013年4月閲覧