mitre

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

mitre Sports International(マイターイタリア語読みは「ミトラ」)は、スポーツ用品のブランドである。

概要・歴史[編集]

1817年イギリス中部ヨークシャーハダースフィールドベンジャミン・クルークによってなめし皮工場として設立。司教冠という意味のブランド名をモチーフにロゴが作成された世界最古のボールメーカーである。世界3大ボールメーカーのひとつに数えられ、ヨーロッパを中心にその名は広くサッカーラグビー愛好家にとどまらず知られている。世界最古のカップ戦と言われるFAカップの公式球として1966年より2006年まで実に40年間もの長期に渡りボールサプライヤーとして支え続けた。

1880年当時革で作られる事が一般的だったボールに、独自の高度な革加工技術を応用しサッカーボールラグビーボールの開発・生産を開始。続いてボクシンググローブクリケットグラブ等も商品化、ボールメーカーとしての地位を確立する。

1888年プレストン・ノースエンドがmitreのボールを使ってFirst League Championship (ファースト・リーグ・チャンピオンシップ)とFA Cup (エフエーカップ)を獲得した。

1889年靴底に金属のブレードが付いたスパイク付きサッカーシューズを世界で初めて作製。mitreが手掛ける革製品の評価は高く、その技術は紳士靴にも反映され、イングランドだけでなく世界のあらゆる箇所にて生産されることになり、靴作りに於いても革新的な技術力を持ちその製法はヨーロッパを超えて世界中のシューズメーカーに広く影響を与えた。

1950年18面のサッカーボールの主流を作り、英国市場から世界市場へと進出。その後、世界で最初にFIFA公認を得たボールメーカーとなった。現在の白をベースとしたものではなく、なめし皮特有の光沢を持った茶色のボールが当時は主流だった。

1959年にはテニスラケットクリケット用具、スポーツ用レザーバッグ等の品目を追加。

1966年スコットランド出身のストライカーデニス・ローのサポートを開始。ボビー・チャールトンジョージ・ベストらと共に、マンチェスター・ユナイテッドの黄金時代を築いた。当時の人気選手の足元を支えた。イングランド代表公式試合球のサポートをスタート。

1978年”世紀の一戦”プロボクシングモハメッド・アリレオン・スピンクスのヘビー級マッチでアリのスポンサーになりグローブやシューズをテクニカルサプライヤーとして作成。これによって、mitreブランドが全米に波及された。

1992年FAプレミアリーグの公式球となる。

1995年スポーツ・アウトドア・ファッションブランドを多く抱えるPentlandグループに加わり、世界55カ国に販売される。

1998年スコットランドプレミアムリーグの公式球となる。

2005年本社社屋をロンドンに移す。この年の春より日本での販売を本格的にスタートさせる。

2006年Jリーグ・ディビジョン2の水戸ホーリーホックとサプライヤー契約を締結。

2007年チャンピオンシップ、フットボールリーグ1、フットボールリーグ2、からなるイングランド・フットボールリーグの公式球契約を2011年まで更新。イングランドフットボールリーグ・イプスウィッチ・タウンFCとユニフォームサプライヤー契約を締結。

ボールの特徴[編集]

mitreのサッカーボールの内部の素材には天然ラテックスチューブ(柔らかでよく伸びる)が多く用いられている。またチューブは天然、人工にかかわらず、小さめに作られている為、少量の空気を入れるだけで真球(きれいな球体)になり易い。

上級機種にはヘソのくびれ部分に挟み込んだ布が貼り付けてあり、剥がれ落ちる心配がなく、ヘソの反対側にバランサーをつける事で重量バランスをうまく取られている。

マイターの代表的なパネル枚数は基本型の18枚(右)と上級モデルに使われる26枚(左)。一般的な亀甲型(五角形と六角形)は円形にし易いがパネルの形状が違う為、真球にはならないことと、縫い目が多くなる為、正しいレスポンスが期待しにくい。その為、縫い目を減らすと同時に真球に近づける為、mitre独自のパネル形状を使用している。

「天然ブチル(人工)」を使用する事によりよく弾み、よく飛ぶ事が長所。反面、ボールを蹴るポイントが少しでもずれるとまっすぐに飛びにくく、正確なトラップシュートがプレイヤーに要求されてしまうが、その分上達も早くなると言うことである。

日本での展開[編集]

2004年より日本で代理店契約が始まり、ヨーロッパのボール文化を日本で初めて株式会社ロイヤル(本社:名古屋)が営業・販売する事になる。2006年よりJリーグ水戸ホーリーホックのテクニカルスポンサーを2年契約で開始。2009年には奈良クラブ2010年にはFC大阪とユニフォーム契約を結ぶ。  

外部リンク[編集]