I/O (雑誌)
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「I/O」(あいおー)は、日本初のマイコン専門雑誌(後のパソコン雑誌)である。
1976年11月に、同年の12月号として工学社から創刊された。
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[編集] 概要
創刊号当時の編集スタッフには星正明、西和彦、郡司明郎、塚本慶一郎らが名を連ねている(西、塚本らは後に独立してアスキーを創業)。創刊当初は毎月25日発売、後に毎月18日に発売になった。創刊号の発行部数は3,000部で、秋葉原の各店に頭を下げて置かせてもらったと言う。
当初はロボットなど機械技術が中心だったが、徐々にマイコン専門雑誌となっていった。1980年前後の日本のマイコンがPC-8001とMZ-80で勢力を二分していた時代には、『I/O』、『月刊アスキー』、『月刊マイコン』、『RAM』が4大マイコン雑誌と呼ばれていたが、同誌は最古参だけあってほとんどの分野の記事が他の3誌を圧倒しており、投稿ゲームの本数がやや多めだったことも手伝って、マイコン雑誌としてはトップの人気を誇った。
BASICや機械語のプログラムリストが何ページにも渡って掲載されたが、8ビットパソコンの初期には入力すれば、500円台でゲームが入手できることで人気を呼び、広告も集まったことから、後にページ数が400ページを超え、電話帳並の分厚さを誇っていた。また読者投稿のプログラムをテープに収録し、コンパックというブランドでパッケージ販売も行なっていた。PC-8001による機械語ゲームの投稿によって、芸夢狂人、次いで中村光一を輩出している。
1983年には電波新聞社の『マイコンBASICマガジン』の対抗誌として姉妹誌の『PiO』を出して、PC-6001シリーズなど、低価格の入門向け8ビットパソコンのゲームはPiOに掲載するようになった。だがMSX登場時には1983年12月号で誌面をあげて批判的な立場にまわり、MSXを扱うことはほとんどなかった。パソコンが16ビット時代を迎え、MS-DOSの市販ソフトが主流になる時代には、月刊アスキーやソフトバンクの『Oh!PC』などに遅れを取って、トップの座からは降りることになった。
その後、2000年4月号で従来のB5サイズから三才ブックスの『ゲームラボ』と同じくA5サイズに変更。「電脳空間探検マガジン」を標榜し、地下街というコーナーを設けてP2P関連やエミュレータの記事などアングラもカバーするようになったが、2003年10月号からは「自作派のためのパソコン情報誌」を謳って露骨なアングラ臭をなくすようになり、さらに2006年4月号から誌面サイズをB5判に戻してアングラ系の地下街コーナーも完全になくし、刊行を続けている。
[編集] 関連人物
上記で紹介済の人物は除いている。
[編集] 参考資料
- 『I/O』2006年11月号、工学社
- I/O創刊30周年特集。I/O30年の歩み。特別付録CD-ROM「I/O創刊30年全目次」。

