1990年フォーセット航空ボーイング727失踪事故

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フォーセット航空 OB-1303
1990年6月に撮影された事故機[注釈 1]
事件・インシデントの概要
日付 1990年9月11日
概要 失踪
現場 カナダの旗 カナダニューファンドランド・ラブラドール州 レース岬英語版から180マイル南東の大西洋
乗客数 10
乗員数 6
行方不明者数 16(全員)
機種 ボーイング727-247
運用者 ペルーの旗 フォーセット航空英語版
機体記号 OB-1303
出発地 マルタの旗 マルタ国際空港
第1経由地 イタリアの旗 ミラノ・マルペンサ空港[注釈 2]
第2経由地 アイスランドの旗 ケプラヴィーク国際空港
第3経由地 カナダの旗 ガンダー国際空港
最終経由地 アメリカ合衆国の旗 マイアミ国際空港
目的地 ペルーの旗 ホルヘ・チャベス国際空港
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1990年フォーセット航空ボーイング727失踪事故は、1990年9月11日に発生した航空事故である。

マルタ国際空港からホルヘ・チャベス国際空港へ向かっていたフォーセット航空のボーイング727-247カナダニューファンドランド・ラブラドール州レース岬英語版から180マイル南東の大西洋で失踪した。

このフライトは回送便で、乗員6人とその家族10人が搭乗していた。パイロットからの最後の交信は燃料切れに陥り、不時着水の準備をしていることを示す遭難信号だった。当時、事故機は予定された飛行経路を100マイル以上逸脱していた。事故後、搭乗者の遺体や機体の残骸は発見されなかった[2][3]

飛行の詳細[編集]

事故機は1969年に製造されたボーイング727-247(OB-1303)で、同年10月24日に初飛行を行っていた[2]ウエスタン航空英語版へ納入され、その後複数の航空会社で運航された後、フォーセット航空英語版が購入した[4]。1990年の夏の期間、事故機はフォーセット航空からマルタ航空リースされており、ペルーへの回送中に失踪した[1][2]。リース期間中はマルタ航空の塗装がされており、事故当時もその塗装だった[2]

失踪したとき、事故機には乗員6人と乗客10人が搭乗していた[2][注釈 3]。乗員にはリース期間中にマルタで働いていた整備士や地上職員も含まれていた。乗客はその家族らで[3]、乳児と4人の女性が搭乗していたとみられている[1]。また、乗員乗客はいずれもペルー人だった[3]

事故の経緯[編集]

事故機はミラノ・マルペンサ空港ケプラヴィーク国際空港ガンダー国際空港マイアミ国際空港で給油を行う予定だった[注釈 2][6]。マルタからミラノ、ケプラヴィークまでの区間は予定通りで、ケプラヴィークからガンダーまでの区間で異常が発生した[3]

事故機はケプラヴィークでの給油を完了し、現地時間13時16分に離陸した[1]。しかし、到着予定時刻の15時を過ぎても事故機はガンダーへ着かなかった[3][4]。15時23分頃、付近を飛行していたトランス・ワールド航空851便とアメリカン航空35便が燃料不足を知らせる遭難信号を受信した[2][3][4]。パイロットは高度10,000フィート (3,000 m)を飛行しており、大西洋への不時着水の準備を行っていると報告していた[2][1][5]。この報告は851便と35便のパイロットによって管制官へ中継された[3]。この報告を最後に事故機からの交信は途絶えた[2][1]

最後の交信がされたのはニューファンドランド・ラブラドール州セントジョンズの南東250マイルレース岬英語版から180マイルの地点だった[3][5]。この地点は予定された飛行経路から大きく外れており、パイロットが無意識のうちにコースを逸脱した可能性が示唆された[3]

捜索[編集]

交信が途絶えた数時間後、カナダ軍による捜索救助活動が開始され、3機のCP-140CH-113が派遣された[3][5]。カナダ沿岸警備隊の巡視船2隻、漁業巡視船2隻、海軍の駆逐艦2隻も捜索に当たった[3]。事故機の緊急ロケータービーコンの信号が衛星によってキャッチされたが、正確な位置までは特定できなかった[3]。当局は異常な信号を衛星がキャッチしたが、航空機からのものか救命ボートからのものかは分からないと述べた[4]

当時の天候や視界は良好で、海も穏やかだったため、事故機は不時着水後、数時間海面に浮かんでいたと推測された[3][5]。また報告によれば事故機には救命胴衣や救命ボートなどが装備されていた[5]

必死の捜索活動にもかかわらず、事故機の残骸や搭乗者の遺体は全く発見されなかった[1][2][7]。当局は機体の白い塗装が上空からの捜索を困難にしたと話した[5]

事故後[編集]

ペルー政府によって事故調査が行われた[8]:37カナダ運輸省スポークスマンであるリリー・アッバスは最後の交信が行われた時点で機体はコースを逸脱していたと述べ、当局は事故機が「迷子になった」と推定した[3]。事故機がコースを100マイル以上逸脱した原因は明らかにされなかった[3][4]。パイロットは燃料不足を報告していたが、ケプラヴィークの空港責任者は給油に問題はなかったと主張した[3]。最終的にパイロットの飛行計画が不十分だったことが事故原因と推測されている[7]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 事故機は当時、マルタ航空の塗装だった
  2. ^ a b ロンドンを最初の経由地としている情報もあるが、近年ではミラノが最初の経由地であったとされている[1]
  3. ^ 当初は乗員乗客18人が搭乗していたと報告されたが[1][3]、フォーセット航空の報告によれば3人がアイスランドでの給油時に降機していた[5]。最終的に搭乗者数は16人とされた[2]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h Claiborne, William (1990年9月12日). “PERUVIAN AIRLINER LOST IN ATLANTIC OFF CANADA”. Washington Post. https://www.washingtonpost.com/archive/politics/1990/09/12/peruvian-airliner-lost-in-atlantic-off-canada/df4b9e17-fcaf-4de3-a1d8-f5173446eb4d/ 2020年12月27日閲覧。 
  2. ^ a b c d e f g h i j ASN Aircraft accident Boeing 727-247 OB-1303 ...”. Aviation Safety Network. 2020年12月27日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q “Plane Carrying 18 Missing in Atlantic Off Newfoundland”. Associated Press. (1990年9月12日). https://apnews.com/article/be37f9aa5f9d38fbdd867afb2149d4d7 2020年12月27日閲覧。 
  4. ^ a b c d e “Search Continues For Missing Plane”. Associated Press. (1990年9月12日). https://apnews.com/article/a939c0feccbeb0d1db85f54b32901f9b 2020年12月28日閲覧。 
  5. ^ a b c d e f g “Boeing 727 ditches in Atlantic”. UPI Archives. (1990年9月11日). https://www.upi.com/Archives/1990/09/11/Boeing-727-ditches-in-Atlantic/5159653025600/ 2020年12月27日閲覧。 
  6. ^ Faucett - Bureau of Aircraft Accident Archives”. Bureau of Aircraft Accident Archives. 2020年12月27日閲覧。
  7. ^ a b “From AF447 to MH370: How does a jet vanish in thin air? Possibilities explored”. Hindustan Times. (2014年3月11日). https://www.hindustantimes.com/world/from-af447-to-mh370-how-does-a-jet-vanish-in-thin-air-possibilities-explored/story-qkHdlrse4K5Lftb2s4OZUL.html 2020年12月27日閲覧。 
  8. ^ 国家運輸安全委員会. “AIRCRAFI’ ACCIDENT REPORT MARKAIR, INC. BOEING 737-2X6C, N670MA CONTROLLED FLIGHT UNALAKLEET, ALASKA JUNE 2, 1990” (PDF) (English). 2020年6月2日閲覧。

関連項目[編集]