黒石

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カアバ図解。(1)が黒石、(12)がキスワ。巡礼は黒石の下から出ているライン(13)でタワーフの周回数を確認する

黒石(くろいし、アラビア語: الحجر الأسود ‎、al-Hajar-ul-Aswad)は、英語ではBlack Stoneブラックストーン)とも呼ばれており、これはイスラム教の伝承によればアダムとイヴの時代にまで遡るというムスリムの聖宝である。テクタイトもしくは隕石であるとも考えられている[1]サウジアラビアメッカに所在する大モスクであるマスジド・ハラームの中央に位置し、世界のムスリムがその方角を向いて祈る古代の聖なる石造建築、カアバの東隅に据えられた要石である[2]。黒石の直径はおよそ30センチメートル、地面からの高さは1.5メートルである[3]

巡礼者たちは、ハッジタワーフ英語版儀式の一環としてカアバの周囲を回る。このとき、巡礼たちの多くは可能ならば、足を止めて黒石に7度接吻しようと試みる[4]。イスラムの伝承によれば、預言者ムハンマドはかつてそうしたとされている。巡礼者たちは、黒石に触れることができない場合、カアバを7度回るたびに黒石を指差す[5]

中世に受けた損傷のために黒石は割れていくつかの破片となっている。破片は銀の枠によってまとめられており、銀の鋲で固定されている。

起源と歴史[編集]

イスラムの観点から[編集]

集史』の1315年のイラストレーション。ムハンマドとメッカの部族の長老たちが、黒石を所定の位置へと運んでいる図

イスラムの伝承では、黒石は、どこに祭壇を築き神に犠牲を捧げれば良いのかをアダムとイヴに示すため、天国から降って来たものであると伝えられている。祭壇は地上で最初の寺院となった。石は最初は目映く輝く純粋な白であったのだが、長年に亘り人々の罪業を吸収し続けたために黒くなってしまったのだという[6]。伝承は、アダムの祭壇と石は大洪水で失われ一度忘れ去られたのだとしている。大天使ガブリエルがその在処をアブラハムに示し、黒石とアダムの祭壇の場所は再発見された[7]。アブラハムは息子イシュマエル(ムハンマドの祖先)に、石を埋め込むための新しい寺院を建設するよう命じた。この新しい寺院がメッカのカアバである。

ムハンマドは黒石の歴史で重要な役割を演じたとされている。最初の預言的啓示を受ける以前の602年、ムハンマドはカアバを再建中のメッカに建造した。新しい建物を建設している間、黒石は一時的に別の場所に移されていた。イブン・イスハーク英語版の『預言者伝英語版』(アルフレッド・ギヨームが再構成、翻訳)に伝えられる内容によると、ムハンマドは、どの部族が黒石をカアバに据えるかでメッカの部族間に起きていた争いを和解させた。解決方法は、黒石を布に載せ、全ての族長がこれを持ち上げて運び、ムハンマドが自分の手で所定の位置に収めるというものであった[8][9][10]

外部の観点から[編集]

黒石の崇拝は明らかにイスラム教の興隆よりも前から存在した。中東のセム人の文化には、珍しい石を崇拝の場の印として用いる伝統があり、旧約聖書クルアーンにもその反映がある[7]

グリューネバウムは著書『古典時代のイスラム』において、カアバはイスラム教以前の時代から既に巡礼の場所となっており、恐らくは石で築かれた唯一の聖所であったが、アラビアの各地には他の「カアバ」建築が存在したことを示す情報源があるとしている。「赤石」は南アラビアの街ガイマン英語版の神であり、またアール・アーバレィト(メッカの南に位置する街タバラの近郊)のカアバには「白石」があったという。グリューネバウムは、この時代の神性の経験はしばしば石への呪物崇拝、山岳、特別な造岩、「不思議な育ち方をした樹木」といったものと結び付いていたと指摘している[11]

黒石の物理的な特徴は、巡礼を装ってカアバを訪問したヨーロッパ人旅行者により、19世紀から20世紀初頭にかけて初めて西洋の文献に記述されるようになった。スイスの旅行者ヨハン・ルートヴィヒ・ブルクハルトは、1815年頃に巡礼を装ってメッカを訪れ、1829年の著書『アラビアの旅』(Travels in Arabia)でこれを詳細に記述している。

いびつな楕円形で、直径およそ7インチ、表面には起伏があり、1ダースほどのさまざまな大きさと形をした小さな石から成っており、少量のセメントで巧みに接着され、完璧に滑らかになっている。激しい一撃によってばらばらになったものが再びくっつけられたかのように見える。数限りなく触られ接吻され続けて現在の表面にまで磨り減っているので、この石の本来の性質がどのようなものであるのかを判別するのは非常に困難である。私には、白や黄色の物質から成る数多くの異質な小片を含んだ溶岩であるように見える。現在の色は、黒に近い深い赤褐色である。石のそれと近いが同じではない褐色をした、ピッチと砂利でできた密なセメントのように見える物質でできた縁が、石の側面全体を囲んでいる。この縁が分離した破片を支えている。縁は幅2-3インチで、石の表面よりも少し飛び出ている。縁と石は銀の帯で囲まれており、これは上よりも下の方が幅があり、両側面には下方に大きな瘤があって、石の一部がその下に隠れているかのように見える。縁の下部は銀の鋲が打ち込まれている。[12]

1853年にカアバを訪れたリチャード・フランシス・バートンはこう書いている。

色は黒とメタリックのように見え、石の中央はメタリックな輪よりもおよそ2インチほど窪んでいる。側面の周りには赤褐色のセメントがあり、金属部分とほぼ同じ高さで、そこから石の中央へと傾斜している。帯は金もしくは銀めっきのどっしりとしたアーチである。石が収まっている開口部は、広げた手の親指から小指までに指3本を加えたほどの幅である。[13]

黒石の材質は玄武岩溶岩瑪瑙、天然ガラス、そして最も一般的には石質隕石などとさまざまに記述されている。あれほどまでの接触に耐えてきたのであるから、硬い岩石なのは明らかである。951年に、その21年前に盗まれた石が取り戻された時の話は、石の性質の重要なヒントとなる。年代記編者によれば、黒石は水に浮くことでそれと分かったのだという。この話が正確であるなら、瑪瑙、玄武岩質溶岩、石質隕石という可能性は排除され、ガラスまたは軽石であるという可能性は残る[14]

Nuvola apps kview.svg 画像外部リンク
Searchtool.svg 黒石の写真

黒石は、約6000年前に、メッカから1,100キロメートルほど東にあるルブアルハリ砂漠のワバーWabarに落ちた、断片化した隕石の衝撃によってできたガラス片なのではないかという説がある。ワバーのクレーター群には、衝撃で溶け、(大部分が衝撃で破壊されてしまった)隕石のニッケル鉄合金の小片を含む石英ガラスの塊があることで知られている。これらのガラスの塊の中には、白や黄色の内部とガスが充ちた空洞を持つ、輝く黒のガラスでできたものもあり、この空洞によって水に浮く。科学者たちは1932年になるまでワバーのクレーター群(en:Wabar craters)の存在に気付いていなかったが、これらはオマーンからの隊商路の近くに位置していたので砂漠の住民たちには知られていた可能性が非常に高い。より広いエリアとしては間違いなく良く知られていた。古いアラビア語のでは、ワバーもしくはユバー(円柱の並び立つイラム英語版としても知られる)とは、邪悪な王を頂いていたために天国からの火によって破壊された伝説上の都市の名前であった。クレーターの推定年代が正確であるとすれば、隕石の落下はアラビアに人間が住んでいた時期に収まり、衝突そのものも目撃されていた可能性がある。しかしながら、近年(2004年)の科学的な分析によれば、衝突は以前考えられていたよりも遥かに最近の出来事であり、ほんの200-300年前のことであったかもしれない[15]

儀礼上の役割[編集]

カアバ周囲の大群集。全ての巡礼が黒石に接吻するのは現実的ではない
黒石に接吻しようと殺到する巡礼者たち。黒石の傍らには守衛が立ち、接吻が終わりしだい巡礼者を押し退ける

現在のハッジの儀礼には、巡礼がムハンマドの行為にならい、黒石に7度(カアバを1周するごとに1度)接吻しようとすることが含まれている。第2代正統カリフであるウマル・イブン・ハッターブ(580-644)が黒石に接吻する際に、参列者全員の目前でこう言った――「恐らく、あなたは石であって誰も傷付けもしなければ誰の益になることもしないでしょう。アラーの預言者であるムハンマドがあなたに接吻したのを見たのでなければ、私もあなたに接吻などしなかったでしょう。」[16]多くのムスリムはウマルの言葉に従っている――彼らはムハンマドを信じる精神で石に敬意を払うのであって、石そのものを信仰するのではない。しかしながら、それは黒石を軽視していることを意味するのではなく、害や益をもたらすのは神の手であって、それ以外の何者でもないという信仰そのものを意味するのである。現代では、カアバは大群集が訪れるので各人が黒石に接吻するのはもはや事実上不可能となっており、巡礼は建物の周りを巡る度に黒石の方向を単に指差すだけで良いということになっている。黒石はタワーフの周回数を数えるのに便利な、単なる目印であると考えるのが一番良いと言う者までいる[17]

一部のムスリムはまた、最後の審判キヤマー英語版)の際には、黒石が自分に接吻した者の弁護をしてくれるというアル=ティルミズィー英語版によるこのハディースを信じている――

イブン・アッバースはこう言ったと伝えられている:アラーの預言者は石についてこう言った「アラーによれば、復活の日にアラーは石を持ち出し、石には2つの目ができて物を見、舌ができて話し、かつて石に誠実な心で触れた者のために証言をするであろう。」[18]

黒石の儀式的な役割とは別に、その黒い色は、神のために俗世から離れる清貧(ファクル英語版)と、神の方へと進むために求められる自我の消却(カルブ英語版)という、霊的な美徳を象徴しているのだと考えられている。

損傷[編集]

黒石は割れていくつもの破片となっており、その数は7から15まで諸説あり、これらは銀の枠によってまとめられている[14]。この損傷がいかにして起きたかにも諸説がある。1911年度版の『ブリタニカ百科事典』によれば、この損傷は638年の包囲攻撃の際に起きたものだったという[19]。『Time-Life Books』の編者たちはウマイヤ朝のカリフ、アブドゥルマリク(646-705)による包囲戦の際の損傷だとしている[20]。2007年度版のブリタニカを含む他の情報源によれば、930年にカルマト派英語版の戦士たちがメッカを略奪し、黒石を中世バーレーンAhsa[訳語疑問点]にある本拠地へと持ち去った際に損傷が起きたのだという。歴史家Al-Juwayni[訳語疑問点]によると、黒石は20年後の951年に、いささか不思議な状況で戻って来たのだという。黒石は袋に包まれ、「我々は命令によりこれを持ち去り、命令によりこれを戻した。」というメモと共にクーファ金曜モスク英語版に投げ込まれた。この持ち去りと移動はさらなる損傷をもたらし、黒石は割れて7つの破片になった[7][21][22]

脚注[編集]

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  1. ^ Horejsi, Martin. "The Meteorites of the US National Museum of Natural History", Meteorite-Times Magazine, undated
  2. ^ Sheikh Safi-ur-Rahman al-Mubarkpuri (2002). Ar-Raheeq Al-Makhtum (The Sealed Nectar): Biography of the Prophet. Dar-us-Salam Publications. ISBN 1591440718. 
  3. ^ SaudiCities - The Saudi Experience. “Makkah - The Holy Mosque:The Black Stone”. 2008年3月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2006年8月13日閲覧。
  4. ^ Elliott, Jeri (1992). Your Door to Arabia. Lower Hutt, N.Z.: R. Eberhardt. ISBN 0-473-01546-3. 
  5. ^ Mohamed, Mamdouh N. (1996). Hajj to Umrah: From A to Z. Amana Publications. ISBN 0-915957-54-x. 
  6. ^ Shaykh Tabarsi, Tafsir, vol. 1, pp. 460, 468. Quoted in translation by Francis E. Peters, Muhammad and the Origins of Islam, p. 5. SUNY Press, 1994. ISBN 0-7914-1876-6
  7. ^ a b c Cyril Glasse, New Encyclopedia of Islam, p. 245. Rowman Altamira, 2001. ISBN 0-7591-0190-6
  8. ^ University of Southern California. “The Prophet of Islam - His Biography”. 2006年8月12日閲覧。
  9. ^ Guillaume, Alfred (1955). The Life of Muhammad. Oxford: Oxford University Press.  pp. 84-87
  10. ^ Saifur Rahman al-Mubarakpuri, translated by Issam Diab (1979年). “Muhammad's Birth and Forty Years prior to Prophethood”. Ar-Raheeq Al-Makhtum (The Sealed Nectar): Memoirs of the Noble Prophet. 2010年2月28日閲覧。
  11. ^ Grunebaum, p. 24
  12. ^ Travels in Arabia, by John Lewis Burckhardt (chapter9)
  13. ^ Quoted in Thomas Patrick Hughes, A Dictionary of Islam, p. 154. W. H. Allen & Co, 1885
  14. ^ a b Alex Bevan, John De Laeter, Meteorites: A Journey Through Space and Time, pp. 14-15. UNSW Press, 2002. ISBN 0-86840-490-X
  15. ^ Prescott, J.R., Robertson, G.B., Shoemaker, C., Shoemaker, E.M. and Wynn, J. (2004) "Luminescence dating of the Wabar meteorite craters, Saudi Arabia", Journal of Geophysical Research, 109 (E01008), doi:10.1029/2003JE002136
  16. ^ University of Southern California. “Pilgrimage (Hajj)”. 2006年8月12日閲覧。
  17. ^ The Saudi Arabia Information Resource. “The Holy City of Makkah”. 2010年2月28日閲覧。
  18. ^ http://www.icct.org/Hajj/BlackStone.html (broken) http://web.archive.org/web/20070517210047/http://www.icct.org/Hajj/BlackStone.html
  19. ^ ブリタニカ百科事典第11版の"Mecca"の項目
  20. ^ Time-Life Books (1988). Time Frame AD 600-800: The March of Islam. Alexandria, Va.: Time-Life Books. pp. 47. ISBN 0-8094-6420-9. 
  21. ^ Qarmatiyyah”. Overview of World Religions. St. Martin's College. 2007年5月4日閲覧。
  22. ^ "Black Stone of Mecca." Encyclopædia Britannica. 2007. Encyclopædia Britannica Online. 25 June 2007 <http://www.britannica.com/eb/article-9015514>.

参考文献[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯21度25分21.02秒 東経39度49分34.58秒 / 北緯21.4225056度 東経39.8262722度 / 21.4225056; 39.8262722