青柳有美

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
年月不明

青柳 有美(あおやぎ ゆうび、1873年明治6年)9月27日 - 1945年昭和20年)7月10日)は、ジャーナリスト随筆家牧師

略歴[編集]

秋田県秋田市手形本新町生まれ[1]。青柳為治・ヒサの長男[1]。本名は。東京の共立学校で学んだのち、故郷の秋田英和学校のハリソンのバイブルクラスで英語を学び、1887年(明治11年)C・E・ガルストより洗礼を受けてキリスト教に入信した[注釈 1]1894年(明治27年)、同志社普通学校の文学政治経済学科を卒業した。1895年(明治28年)、明治女学院で教えながら、関口教会で牧師をする[1]。明治女学院では島崎藤村と同職した[1]。一方では1893年(明治26年)から明治女学院教頭の巌本善治に協力して『女学雑誌』の発刊にかかわり、編集を担当した[1]1903年(明治36年)には主幹となっている。

その後、一時帰郷して大館中学校秋田中学校を教鞭をとったが、再び上京し文筆生活に入った[1]

大正期には実業之世界社の編集者となり、『女の世界』を発行した。安成二郎とともに同誌の編集にあたり、男でも読む毛色の変わった女性誌と評された[2]。女性問題、性、恋愛問題についての著作が多い。

職業の転変がいちじるしく、上に掲げたほか、たばこ屋扶桑新聞記者、名古屋日報の主筆、東邦電力勤務などを経て、晩年は宝塚歌劇学校の教師であった[1]。墓所は練馬区敬覚寺

著書[編集]

  • 有美臭 文明堂, 1901-03
  • 善魔哲学 文明堂, 1902
  • 有美道 丸山舎書籍部, 1906
  • 女学生生理 丸山舎書籍部, 1909
  • 日本美人論 明治出版社, 1913
  • 世界の新しいふらんす女 東亜堂, 1913
  • 学理対照九星淘宮術奥伝講義 帝国書院, 1913
  • 実験無痛安産法 附・医術の進歩 実業之日本社, 1914
  • 有美式 実業之日本社, 1914
  • 最新結婚学 実業之世界社, 1915
  • 最近科学の進歩(編)実業之世界社, 1915
  • 不老不死 実業之世界社, 1915
  • 女の裏おもて 昇山堂, 1916
  • 男女和合の秘訣 実業之世界社, 1916
  • 人情学 広文堂書店, 1916
  • お夏清十郎 恋の姫路 井上盛進堂, 1917 「女の話と男の話」と改題
  • 新世の中 弘学館書店, 1918
  • 新性慾哲学 歌舞社, 1921
  • 女征伐 甲寅出版社, 1921
  • 接吻哲学 付:煙草哲学.女の真似をしたがる日本の男.夜の世界の進化.川上貞奴を弁護す.私娼絶滅法案附議 日本性学会, 1921
  • 寳塚叢書 ペラゴロ双紙 宝塚少女歌劇団出版部, 1924
  • 恋愛読本 二松堂, 1926

翻訳[編集]

  • 髯一つ 喜劇脚本 シルレル 千葉秀浦共訳 文明堂, 1905

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 1884年(明治17年)、米国基督教会(ディサイプルス)のスミス宣教師夫妻・ガルスト宣教師夫妻が秋田を訪れ、伝道活動を開始した。1885年(明治18年)頃には英語教育を目的とした秋田英和学校を現在の秋田市中通2丁目に設立し、1889年(明治22年)にはディサイプルス派による日本で最初の教会「秋田基督教会」を設立している。また、1906年(明治39年)には秋田幼稚園を開設した。 奥山順子「秋田県の幼稚園創設期におけるキリスト教会の役割一初期幼稚園にみる貴族性と養護性を中心に一」『秋田大学教育文化学部研究紀要 教育科学部門 61』pp.71-81,2006

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g 千葉三郎「青柳有美」『秋田大百科事典』(1981)pp.3-4
  2. ^ 芥川・菊池のことなど石割透

外部リンク[編集]