青木要三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
青木 要三 Football pictogram.svg
名前
カタカナ アオキ ヨウゾウ
ラテン文字 AOKI Yozo
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1929年4月10日(85歳)[1]
選手情報
在籍チーム 千代田生命保険[1]
ポジション DF
代表歴
1955年 日本の旗 日本 1 (0)
監督歴
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

青木 要三(あおき ようぞう、1929年4月10日 -2014年4月23日没、享年85歳 )は、日本の元サッカー選手。1955年ビルマタイ王国に遠征したサッカー日本代表に招集され、1月5日ラングーンで行なわれたビルマ(体協会長チーム)との国際親善試合[1]、および、バンコクで行なわれた在タイ全華人との国際親善試合に出場した[2]。前者は、2007年に国際Aマッチとして認定された[3]。 1967年(昭和42年)には、早稲田大学監督として釜元・森らを率いて天皇杯を制し、関東大学リーグ・大学選手権とあわせて三冠を達成した。 しかし、当時勤めていた千代田生命にはほんの一部の人間にしか監督をしていることを知らせておらず、インタビューなどにも一切応ぜず、表舞台にはほとんど出なかった。 一度だけラジオのサッカー番組の解説者をしたが、ろくな解説もせずアナウンサーの質問にも「はいそうです」しか答えなかったため二度とオファーがなかったと、妻悦子が語っている。

国際試合[編集]


日本代表 国際Aマッチ その他 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点
1955 1 0 1 0 2 0
通算 1 0 1 0 2 0

出典・脚注[編集]

  1. ^ a b c 代表TIMELINE 国際親善試合[1955.01.05] ラングーン 招集メンバー”. 日本サッカー協会. 2013年6月19日閲覧。
  2. ^ 代表TIMELINE 国際親善試合[1955.01.18] バンコク 招集メンバー”. 日本サッカー協会. 2013年6月19日閲覧。
  3. ^ 【日本代表チームデータベース検討委員会】日本代表戦の検証と認定結果(07.06.15)”. 日本サッカー協会 (2007年6月15日). 2013年6月21日閲覧。

外部リンク[編集]