蕭泰然

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蕭 泰然(しょう たいぜん、Hsiao Tyzen, 1938年1月1日 - )は、台湾作曲家

高雄県鳳山市出身。祖父は長老派教会の宣教師で、父は日本で学んだ歯科医師で長老。母は日本でピアノを学んだ経験があったので、彼は幼いころから西洋音楽に親しんだ。父は歯科医師の道を進むことを望んだが、彼の才能を惜しんだ中学校長の説得で音楽の道を進むことになった。

1959年、台湾省立師範大学(現在の国立台湾師範大学)に入学し、ピアノを専攻するとともに、許常恵から作曲を学んだ。1963年に卒業後、高雄中学の音楽教師となった。

1965年武蔵野音楽大学に留学し、中根伸也にピアノを学ぶとともに、藤本秀夫から個人的に作曲を学んだ。1967年に帰国後、高雄文藻女子外語専校、高雄女師専(現在の国立高雄師範大学)、台南家専、台南神学院などで講師を務めた。一方、1967年には合唱曲集を出版し、1971年には父のテキストを基にオラトリオ『イエス・キリスト』を作曲した。

1977年、妻が事業に失敗したため台湾を離れ、アメリカ合衆国アトランタの妹のもとに身を寄せた。アトランタでは工芸品店を経営して生活していたが、この時期に多くの歌曲の作曲を行った。しかし1980年に作曲した『出頭天進行曲』が戒厳令下の国民党政府に問題視され、1995年まで彼はブラックリストに掲載された。

1986年カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校の修士課程に入学し、1987年に修了した。1988年から1990年にかけてヴァイオリン協奏曲チェロ協奏曲ピアノ協奏曲を作曲した。1993年から二・二八事件を題材に取った序曲『1947』の作曲に取り掛かり、翌年に完成した。

1995年、台湾に戻った。帰台後の作品には『台湾魂』『傷痕の歌』『玉山頌』『おお、フォルモサ~殉難者のための鎮魂曲』などがある。

作品は「台湾民謡の精神を主体にして、古典派音楽ロマン派音楽印象主義音楽現代音楽を取り入れ、新しい台湾の音楽を作る」という思想に基づいている。[1]

文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ [1]「屬於台灣的深沉浪漫—蕭泰然 」,採訪:陳怡慧、張元真 ,整理:張元真,台灣師大音樂系《樂苑》系刊第 26 期,1999 年