羽後里見駅

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羽後里見駅
うごさとみ
UGO-SATOMI
豊前 (1.2 km)
(2.4 km) 沼館
地図
所在地 秋田県平鹿郡雄物川町東里東里北
(現・横手市雄物川町東里東里北)
北緯39度16分50.2秒 東経140度26分58.9秒 / 北緯39.280611度 東経140.449694度 / 39.280611; 140.449694座標: 北緯39度16分50.2秒 東経140度26分58.9秒 / 北緯39.280611度 東経140.449694度 / 39.280611; 140.449694
所属事業者 羽後交通
所属路線 横荘線
キロ程 12.9 km(横手起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1918年大正7年)8月18日
廃止年月日 1971年昭和46年)7月20日
備考 横荘線廃線に伴い廃駅
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羽後里見駅(うごさとみえき)は、秋田県平鹿郡雄物川町東里東里北(開業時は旧・平鹿郡里見村東里、現・横手市雄物川町東里東里北)にあった羽後交通横荘線(旧・横荘鉄道)の廃駅)である。横荘線の廃線に伴い1971年昭和46年)7月20日に廃駅となった。

歴史[編集]

駅構造[編集]

廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった[8]。ホームは線路の南側(老方方面に向かって左手側)に存在した[8]。そのほか側線として、本線から北に分岐した機回し線を1線と、本線横手方機回し線転轍機の手前から南に分岐し駅舎東側に至る行き止りの側線を1線有していた[8]

職員配置駅となっていた[4]。駅舎は構内の南側に位置し、ホーム中央部分に接していた[8]

駅周辺[編集]

JA里見(現:JA秋田ふるさと)の前に位置した[9]

駅跡[編集]

1996年平成8年)時点では、附近に農業倉庫や農協の建物など、駅に関係の深い建物が残っていた[10]2002年(平成14年)3月には、駅跡のJAの敷地の一角に、雄物川町(当時)により「横荘線 羽後里見駅跡」と記載され、沿革も記された白い記念碑が建立された[3][6]2007年(平成19年)5月時点[3][6]2010年(平成22年)10月時点でも同様であった[11]

また、1996年(平成8年)時点では、浅舞駅跡附近から当駅跡附近を含む沼館駅跡附近までの線路跡は農免道路となっていた[10]。2007年(平成19年)5月時点[3][6]、2010年(平成22年)時点でも同様であった[11]。往時を偲ぶことは出来ない状況であった[3]

そのほか1999年(平成11年)時点では、当駅跡附近の畑に木造有蓋車ワ1形(2代)ワ22の車体が個人の倉庫として再利用されていた[9]

隣の駅[編集]

羽後交通
横荘線
豊前駅 - 羽後里見駅 - 沼館駅

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 2 東北』(監修:今尾恵介新潮社2008年6月発行)43ページより。
  2. ^ a b c d e 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング2010年4月発行)222ページより。
  3. ^ a b c d e f g h i 書籍『新 消えた轍 3 東北』(著:寺田裕一、ネコ・パブリッシング2010年8月発行)25-28,30-31ページより。
  4. ^ a b c 書籍『私鉄の廃線跡を歩くI 北海道・東北編』(著:寺田裕一、JTBパブリッシング、2007年9月発行)165ページより。
  5. ^ 「地方鉄道駅名改称」『官報』1925年9月14日(国立国会図書館デジタル化資料)
  6. ^ a b c d e f 書籍『私鉄の廃線跡を歩くI 北海道・東北編』(著:寺田裕一、JTBパブリッシング、2007年9月発行)82-85ページより。
  7. ^ a b 書籍『RM LIBRARY 61 羽後交通横荘線』(著:若林宣、ネコ・パブリッシング2004年9月発行)16-17ページより。
  8. ^ a b c d 書籍『RM LIBRARY 61 羽後交通横荘線』(著:若林宣、ネコ・パブリッシング2004年9月発行)6,10,18ページより。
  9. ^ a b 書籍『とうほく廃線紀行』(無明舎出版1999年12月発行)60ページより。
  10. ^ a b 書籍『鉄道廃線跡を歩くII』(JTBパブリッシング1996年9月発行)34ページより。
  11. ^ a b 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング2010年4月発行)203ページより。

関連項目[編集]