米澤蓮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 米澤 蓮 
Ren YONEZAWA
基本情報
名前 米澤 蓮
生年月日 (1999-07-23) 1999年7月23日(24歳)
身長 174 cm (5 ft 9 in)
国籍 日本の旗 日本
出身地 岩手県
経歴
プロ転向 2021年
現在のツアー 日本ツアー
成績
賞金ランク最高位 日本ツアー:22位(2023年)
2024年4月1日現在
テンプレートを表示

米澤 蓮(よねざわ れん、1999年7月23日 - )は、岩手県出身の日本のプロゴルファー。ティ.エム.プラテック所属。

経歴[編集]

テレビのゴルフ中継を見て興味を持ち、小学校時代のある休日に家族でニトリに買い物に行くも、開店時間を1時間間違え、早く着いてしまうが、その隣にあったのがゴルフ練習場で、「ボクもやってみたい」のひと言がゴルフとの出合い[1]。ほぼ独学で腕を上げて小学生時代から多くの大会で優勝してきた[2]。『東北ジュニア』は各カテゴリーで計5勝、盛岡中央高等学校時代は『東北高校選手権』を3連覇した[2]東北福祉大学に進んだ2018年からはナショナルチームでも活躍。2018年、インドネシアで開催された『第18回アジア競技大会ゴルフ競技』の団体で金谷拓実今野大喜中島啓太と共に5大会20年ぶりの日本チーム金メダルを獲得[3]。金谷、今野、大澤和也とのチームで挑んだ『第18回ネイバーズトロフィーチーム選手権』では日本チームに初の2連覇をもたらす[4]。プロの試合でも存在感を示し、2019年の『アジアパシフィックオープン』では15位から68をマークして猛追。優勝した浅地洋佑には1打及ばなかったが2位に食い込むなど、アマチュアとしてプロの試合に13試合出場して予選落ちがわずかに1試合という成績を残す[1]

2021年のファイナルQTを55位で終えた時点でプロ転向。しかし2022年シーズンは「パットでどこに構えているかも分からなくなった」と、イップスと呼ばれる症状に悩まされる[5]。オフの2023年春にアマ時代に所属したナショナルチームのジョーンズ・コーチのつてを頼って、豪州ツアーに挑戦し、初戦の8位を皮切りに、計4戦に出場しながら「パターを変えたり、打ち方を変えたり。試合で試せたのが一番」と、改善の兆し見せる[5]。2023年は『カシオワールドオープン』で惜しくも1打及ばず初優勝は持ち越しとなったほか『パナソニックオープンゴルフチャンピオンシップ』でも2位となる。

脚注[編集]

  1. ^ a b 初シードを獲得した米澤蓮に注目! ゴルフの出合いはニトリの隣にゴルフ練習場があったから【佐藤信人アイズ】 - みんなのゴルフダイジェスト”. www.golfdigest-minna.jp. 2024年4月3日閲覧。
  2. ^ a b TOUR, 日本ゴルフツアー機構-The Official Site of JAPAN GOLF. “米澤 蓮選手 プロフィール”. 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site of JAPAN GOLF TOUR. 2024年4月3日閲覧。
  3. ^ 中島啓太が金メダル 男子団体も金/アジア大会”. GDOニュース. 2024年4月3日閲覧。
  4. ^ JGA 日本ゴルフ協会 【2018年度(第18回)ネイバーズトロフィーチーム選手権】”. www.jga.or.jp. 2024年4月3日閲覧。
  5. ^ a b TOUR, 日本ゴルフツアー機構-The Official Site of JAPAN GOLF. “岩手は野球だけじゃない! プロ3年目の米澤蓮「ゴルフも盛り上げたい」”. 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site of JAPAN GOLF TOUR. 2024年4月3日閲覧。

外部リンク[編集]