稗田山崩れ
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稗田山崩れ(ひえだやまくずれ)は、長野県小谷村にある稗田山が1911年8月8日に崩壊した災害のこと。
1707年に静岡県で起きた大谷崩れ、1858年に富山県で起きた鳶山崩れとともに、日本三大崩れのひとつとされる。
[編集] 概要
1ヶ月前から音響が轟くといった予兆はあったと伝えられるが、崩壊に結びつく直接的な要因は不明である。
1911年8月8日未明、山頂北側斜面が突如として大崩壊し、土砂が直下の谷を埋め死者26名の被害を出した。土砂は渓谷であった浦川を埋めるに留まらず、姫川の合流点で堆積。長瀬湖という天然ダムを形成した。このダムの湛水したことから急遽、地元住民らの手で排水路の設置による災害対策が講じられたが功を奏せず、一部が決壊。大量の土砂が流出し、下流の糸魚川市内にまで被害が及び、姫川沿いの多くの家々が居住不能、田畑は耕作不能となった。この結果、集団移転する集落や一家離散する家々が相次いだ。崩壊土砂量は1億立方メートルに及び、日本における20世紀最大級の土砂災害となった。
翌1912年の梅雨期にも天然ダムは再決壊したほか、稗田山の再度崩壊もあり、復旧途上にあった地域経済にとどめを刺している。
[編集] 現在の稗田山
標高1428m。安山岩質溶岩と凝灰岩の互層からなる。直下には、姫川の支流である浦川が流れる。
崩壊跡地は、第二次世界大戦後からの国の直轄砂防事業などにより平穏を取り戻し、かつての大災害の様子をうかがえないほどの復旧が達せられている。崩壊が生じなかった稗田山の南側斜面の一部は、白馬乗鞍スキー場の滑走斜面となっている。