神戸捨二

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神戸 捨二(かんべ すてじ、1901年12月6日 - 1975年6月1日)は、日本の経営者京都府京都市出身[1]

経歴[編集]

1925年東京帝国大学法学部独法学科を卒業し、同年に安田銀行に入行[1]安田保善社帝国ピストンリングでの勤務を経て、1945年沖電気工業常務に就任し、1947年に専務を経て、1949年に社長に就任[1]1966年から1972年までに会長を務めた[1]

1962年藍綬褒章を受章し、1972年5月に勲二等瑞宝章を受章[1]

1975年6月1日心不全のために死去[2]。73歳没。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 人事興信所 1975, か207頁.
  2. ^ 1975年 6月3日 朝日新聞 朝刊 p19

参考文献[編集]

  • 人事興信所 編『人事興信録 第28版 上』人事興信所、1975年。