石田天海

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石田 天海(いしだ てんかい、1889年12月1日 - 1972年6月6日)は、日本奇術師。本名は石田 定次郎愛知県名古屋出身。

小学校卒業後、上京し1913年に当時大人気を誇った松旭斎天勝一座の一人として修行する、1924年アメリカ合衆国巡業へ。そこでスピード感溢れるスマートなアメリカ人のショーに感銘を受け、お絹夫人とともにアメリカへ残留を決意。その後、1958年に帰国するまで30年以上にわたってアメリカショービジネス界で活躍した。

「時計の取り出し」「煙草の手順」を得意とした(9分間の間に36本の煙草と48個の時計を出現させ、さらに最後に大型の時計を2つ出現させた)。天海よりも先にその手順を演じていたカーディニに「模倣だ」として訴えられたことがあるが、仲介者を交えた行った演技披露対決に勝利したことがある。

クロースアップ・マジックからステージマジックに至るまで多岐に渡る業績を残し、また研究家としても数々のオリジナルマジック、技法、そして古典の改案などで活躍した。

ダイ・バーノンボウボウハリー・ブラックストーンチャーリー・ミラーハーラン・ターベルといった著名な奇術師と親交が厚く、現在でも海外で「TENKAI」の名は広く知られている。

また、テンカイパーム、テンカイ・アジャストメントジョグ、テンカイガードナームーブ、テンカイターン、テンカイチェンジなど数々の技法を考案し、海外の有名なマジシャンにも影響を与えた。

日本では、天海の業績を讃え、後進を表彰する意味で石田天海賞が創立されていた(現在は停止)。年に一度、創作奇術で活躍した人間に与えられるもので、1967年から約30年間続いた。

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