犢橋村

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こてはしむら
犢橋村
廃止日 1954年7月1日
廃止理由 編入合併
犢橋村 → 千葉市
現在の自治体 千葉市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 千葉県
千葉郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 19.11 km2
隣接自治体 千葉市、佐倉市、千葉郡幕張町八千代町印旛郡千代田町
犢橋村役場
所在地 千葉県千葉郡犢橋村大字長沼28
座標 北緯35度41分04秒 東経140度07分23秒 / 北緯35.6845度 東経140.12314度 / 35.6845; 140.12314座標: 北緯35度41分04秒 東経140度07分23秒 / 北緯35.6845度 東経140.12314度 / 35.6845; 140.12314
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犢橋村(こてはしむら)は、かつて千葉県千葉郡に存在した村である。旧村の名をそのまま村名としているため、千葉市花見川区の地名として現存している。

歴史[編集]

沿革[編集]

  • 南北朝時代 - 花嶋の地名が見られる。
  • 室町時代 - コテハシの地名が見られる。
  • 江戸時代 - 以下の8村が成立。宇那谷村は印旛郡。幕府領の設置は天明年間の印旛沼掘割工事によるもの。
    • 犢橋村 - 幕府・旗本小栗氏の相給、与力給知→幕府・旗本吉田氏・小栗氏の相給、与力給知、神照寺除地。
    • 花島村 - 旗本遠山氏領→幕府・旗本遠山氏の相給。
    • 柏井村 - 旗本上杉氏領→幕府・旗本上杉氏の相給。
    • 北柏井村 - 旗本小栗氏領→幕府・旗本小栗氏の相給。
    • 横戸村 - 小金原の一部。旗本石尾氏領→幕府・旗本石尾氏の相給。
    • 長沼新田 - 幕府領。
    • 小深新田(こぶけしんでん) - 幕府領。
    • 宇那谷村 - 旗本石河氏領→佐倉藩領。
  • 1868年(明治元年)
  • 1869年(明治2年)1月13日 - 下総知県事が葛飾県となる。
  • 1871年(明治4年)
    • 7月14日 - 佐倉藩が佐倉県となり、宇那谷村が佐倉県の管轄となる。
    • 11月13日 - 葛飾県、佐倉県が印旛県に統合。8村が印旛県の管轄となる。
  • 1873年(明治6年)6月15日 - 印旛県が木更津県に統合して千葉県が発足。8村が千葉県の管轄となる。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、千葉郡犢橋村、花島村、柏井村、横戸村、長沼新田、小深新田、印旛郡宇那谷村および千葉郡六方野原が合併して発足。長沼新田、小深新田が大字長沼、小深となったほか、13の行政区が発足。村役場は長沼区字屋敷に置かれる。
  • 1951年(昭和26年) - 小深、長沼の各一部を千葉市源町に編入。
  • 1952年(昭和27年) - 旧陸軍下志津演習場の一部より大字山王が、同演習場のうち通称六方野の一部より大字六方が、三角原の一部より大字三角、千種、長沼原が起立。
  • 1954年(昭和29年)
    • 1月 - 大字六方の一部が印旛郡千代田町に編入。大字鹿放ヶ丘(ろっぽうがおか)となる。
    • 7月1日 - 千葉市に編入。同日犢橋村廃止。犢橋市民センターを設置。
  • 1992年(平成4年)4月1日 - 千葉市が政令指定都市に移行し、旧村域が花見川区稲毛区となる。花見川区域は現在でも犢橋市民センターが管轄する。

千葉市への編入の経緯[編集]

津田沼町を中心とした「大習志野市構想」への参加を打診され、津田沼町、幕張町と合併協議会を設置したが断念。同構想の頓挫の一因となった(詳細は習志野#習志野市の成立を参照)。ただし、現在でも京成電鉄本線の沿線として習志野市(旧・津田沼町)と市街地が連続しており、千葉市花見川区総武本線沿線とのつながりは薄い。

教育[編集]

現在の町名[編集]

千葉市花見川区
  • 住居表示実施地区:柏井、こてはし台、横戸台、花見川(一部)、さつきが丘(一部)
  • 住居表示未実施地区:犢橋町、花島町、柏井町、横戸町、宇那谷町、三角町、千種町、内山町
千葉市稲毛区
  • 住居表示実施地区:柏台(一部)
  • 住居表示未実施地区:長沼町、小深町、山王町、六方町、長沼原町

関連項目[編集]