氷コップ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
氷コップ (左から、糸巻き文ラッパ型、吹雪文縁反り碗型、赤暈し水玉文なつめ型)

氷コップ(こおりこっぷ)とは、戦前日本でよく用いられた、かき氷を主とする氷菓専用のガラス器である。

明治中期(1890年代)以降に初めて製造された。その後の普及と共に「氷コツプ」の呼称も生まれ昭和初期(1930年代)までの期間に技法・文様において独特の発達を遂げた。戦後は生活の西洋化とともに碗型の器が主流となりシャーベットグラスと呼ばれ、器の文様もエナメルプリントが多用されるなど変化していった。これらの事から現代では、氷コップと呼ぶ場合には一般に骨董の用語として戦前のものを指す呼称として用いられる。ただし呼称としては、材質や形状にかかわらず、かき氷の器の呼称として現在も用いられることがある。

氷コップの種類と特徴[編集]

素材は、主にソーダ石灰ガラスが用いられている。紫外線を当てると、ソーダ成分として含まれたと考えられるカリウムや着色剤として用いられたウランによる、緑色の蛍光が見られるものも多い。また、透きガラス以外に、さまざまな色ガラスも単独または組み合わせて用いられている。

製法としては、宙吹き型吹きプレスが用いられた。 ただし、カップの部分とステム・フットの部分が別の製法を用いたハイブリッドのものも生産された。

形状は、氷を入れるカップの部分とステム・フットの部分からなる。 氷皿や蜜豆用の小鉢についても広義に氷コップという呼び方が用いられている場合も見受けられるが、昭和初期(1930年代)の佐々木硝子の型録では、ステム・フット付のもののみを"氷コツプ"と呼んでいた。 カップの部分の形状によって、なつめ(棗、夏目)型、碗型、ラッパ型、リン(ベル)型等に分類される。 サイズは、各形状ごとにおおよそ同じである[1]

形状以外の意匠において、特に手吹きの氷コップの意匠については、パーツにより異なる色ガラスを用いたり、カップの部分に文様を施すなど、変化に富んでいる。これは日本の大正時代頃の様々なガラス製品にも見られるが、特に氷コップや蜜豆鉢に顕著である[2]

カップの部分に施された文様としては、使用される技法により実現されたものと、オパルセントグラス(オパールガラス、オパーセリン)によるあぶり出し技法を使って様々な文様を描いたものがある。

文様を描くのに使用されたガラスの技法としては、あぶり出し、暈し、掻き揚げ/マーブル、吹雪/色吹雪、千段巻き/糸巻き、象嵌、飛線(通称:めだか)、被せガラスなどがあり、単独または組み合わせて使用された。

オパルセントグラスを用いたあぶり出し技法を用いて描かれた文様には、伝統的な和の文様が多く用いられ、その種類は多い。 市松、水玉、玉垂れ、七宝繋ぎ、籠目、鱗、卍くずし、十字絣、亀甲、矢羽、梅鉢紋といった着物等に用いられた文様や、具象模様として、蝶と菖蒲、桜花、波千鳥、柳に燕などがある。

歴史[編集]

氷コップの歴史からは、食文化の発展に伴う食器としての発達以外に、その背景にある製氷技術の発達、ガラス材料や製法の発達など技術的な側面、氷コップの製法と需要の関わり、意匠にはその時代の流行を見い出すことが出来る。

明治時代
氷水屋が始まり、またガラス器の製造において徐冷[3]の技術が導入された明治初期より、氷水には汎用の水呑みコップや脚付きコップなどのガラスの器が多く使われ始めた[4]が、氷水専用のガラスの器が現れた時期は明らかではない。
明治中期頃には、西欧より輸入されたガラスのテーブルウエアセットが模倣され、国産では初期の氷菓子専用のガラス器と言えるシャーベットグラスが生産されている。
明治末には製氷技術の発達に伴って屋台からディナーまで様々な氷菓子が普及しており、氷菓子専用の器が発達した[5]。かき氷についても、明治末までに、脚付きコップから発展したなつめ型やリン型、西洋のシャーベットグラスに似た碗形の宙吹きの氷コップが登場した。また、金で発色させる金赤による口縁暈しが施されたものが現れたとされる[6]
大正時代
大正の初めには、都市部を中心に、氷水店では専用のコップが極普通に使われるようになった[7]
1920年代後半には、ウランガラスによる黄色・緑色を含む様々な色ガラスにより、当時の錦絵引き札を思わせるような鮮やかな色彩も用いられるようになった。
また文様も、オパールセントガラスによるあぶり出し技法[8]や、他の様々なガラス技法を応用したものが出はじめている。形状は、ラッパ型の氷コップも見られるようになった。
一方、製法については、大正初期には宙吹きと比べて倍額程したプレスの氷コップが大正末には宙吹きの半額程度にまで値下がりしている[9]。量産に適したプレスの普及が伺える。
佐々木硝子の英文の型録にはアイスカップとしてプレスの容器が掲載されているが、あぶり出し等による文様を施した宙吹きの氷コップは掲載されていない。あぶり出し等による文様を持つ氷コップは国内需要向けであったと考えられる。
昭和時代戦前
1930年代には、エナメルガラスによる黒足のグラスが流行した[10]が、この流行は碗型やなつめ型の氷コップにも取り入れられた。
一方、リン型やラッパ型への黒足の使用は、同形状のアイスクリームコップやグラスには見られるが、氷コップではほとんど普及していない[11]
昭和時代戦後~現代
第二次世界大戦直前の製造・販売は中断した可能性があるが、戦後1965年頃まではあぶり出し等による文様を施した宙吹きの氷コップの製造が続けられてきた[12]
しかし戦後になると量産が可能なプレスのシャーベットグラスが主流となって、宙吹きの氷コップは主役の座を譲る事となった。また逆に魅力ある物が失われる事で、宙吹きの氷コップは次第に蒐集の対象となる[13]
その後も現在まで少ない量では有るが、一部のガラス工房[14]やガラス会社[15]・問屋が復刻品として、あるいは悪意の者による骨董品贋物として、あぶり出しや暈しなどによる文様を施した氷コップが製造・販売され続けている。

メーカー[編集]

戦前の氷コップメーカーとしては、佐々木硝子(後の佐々木クリスタル。現在の東洋佐々木ガラス)がカタログなどから確認されているが、雑器であるがゆえ無数のメーカーや問屋が存在していたと考えられる。

「『明治・大正のガラス』 1994、19頁」に、東京で最も早くあぶり出しを用いたのは、亀戸の宮崎硝子であったと記されている。宮崎硝子のあぶり出しの技術は瀧波硝子に受け継がれたが、現在は廃業。

現在では、東洋佐々木ガラスのほか、東京の問屋廣田硝子が新たに企画・販売している。

研究と書籍[編集]

学術的な研究は、ほとんど進んでいない。

氷コップ専門の書籍としては、282種の氷コップを写真掲載している高橋岳志の著書『氷コップの夢世界』(創樹社美術出版、2001年(平成13年))が挙げられる。 また、和ガラスを紹介した書籍にも多くの氷コップを掲載したものがある。

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 寸基準がメートル基準か、あるいは製造誤差によるばらつきは見られる。
  2. ^ ガラス工芸家の岩田藤七は、『ガラス十話』(毎日新聞、1964年(昭和39年))に「明治中期以降からつくられた氷コップ、氷碗には、口紅のぼかし、瑠璃ぼかし、あぶりだしオパールの西洋の技法が日本化されているが、これは高く評価してよいと思う」と書き記している。
  3. ^ 江戸時代までの薄手のいわゆるビードロは徐冷が行われず、わずかな温度差が加えられただけで割れてしまいやすい物だったため、氷菓子の器としては適さなかった。
  4. ^ 「石井 1908」によると『明治の光』(明治8年10月版)に売氷水店の図があり、露店で氷水を硝子盃に盛って販売されていると記されている。また、フランス人画家ジョルジュ・ビゴーは『日本人の生活』(第一次 1890年(明治23年))や『東京芸者の一日』(1891年(明治24年))などに掲載した絵に氷菓子屋で脚付きコップと匙が使われているのを描いている。さらに、「加藤 1976」で引用されている、『風俗画報』170号(1898年(明治31年))にある図「夏の世渡り 阿波徳島において所見」では、氷水の屋台で水呑みコップが用いられている。
  5. ^ 「郡山 1910」巻末に銀座 洋食器硝子器商 十一屋商店の写真入の宣伝広告があり、高級アイスクリームコップが掲載されている。
  6. ^ 色ガラスによる暈し自体は、江戸時代のガラス盃に既に見ることが出来る。
  7. ^ 「石井 1913、66頁」の"氷水店用の器具類の代価及販売店"に「今日、極普通に使用して居る、氷店用のコップは、左の如き代価で買ふ事が出来ます。今日にても、地方の辺地にては、猶(なほ)ケンサキといふ普通水呑コップを使って居る所も有りますが、大抵は台つきのコップを使うやうになりました。」とあり、その種類と価格の目安が記載されている。氷水用コップの種類としては、"角形台付"、"丸形"、"長手台付"、"並コップ(ケンサキ)"があり、赤べり、青べりのものの価格も記載されている。また、"アルミニュームの匙"や、暖簾のように使う"玉すだれ"、"氷かき鉋"の価格も紹介され、これらが同時期に使われていたことが分かる。
  8. ^ 「井上 2000」で佐々木硝子のカタログに掲載された氷コップが調査されている。
  9. ^ 「『明治・大正のガラス』 1994、20頁、126頁」や「井上 2000」に記載された大正4年と大正末年の佐々木硝子の型録での価格。輸入されたプレス装置の減価償却によると考えられる。
  10. ^ 佐々木硝子の『ガラス器カタログ』のソーダ水のグラスにおいて、1931年(昭和6年)のカタログには黒足のタイプの記載は無いが、昭和8、10、12、14年のカタログには"新流行品"もしくは"新時代の流行品"と銘打って黒足の複数のモデルが掲載されている。
  11. ^ 「高橋 2001」などを見ても、黒足の氷コップは主に碗型、なつめ型である。
  12. ^ 「『明治・大正のガラス』 1994、19頁」によると瀧波硝子が戦後間もなく水玉文や市松文のあぶり出しの氷コップを復活させたとある。
  13. ^ 「畑中 1970」「戸澤 2001」にその頃の氷コップブームの状況についての記載がある。
  14. ^ 「『ぎやまん・クリスタル・美の世界』 1977」に九州のびいどろ工房によって製作されたあぶり出しの氷コップが紹介されている。
  15. ^ 「大森 2008」によると、2002年(平成14年)に老舗の瀧波硝子によってカップに水玉文のあぶり出しを施しステムとフットにウランガラスを用いた氷コップが少量製作された。

関連項目[編集]

  • 大正ロマン - 氷コップが発達した大正時代の文化的背景。
  • かき氷 - 代表的な氷菓子の一つ。氷コップは主にかき氷の器として用いられたと考えられる。
  • 氷菓 - 氷を用いた菓子の総称。氷菓子とも呼ばれる。
  • アイスクリン - 明治時代におけるアイスクリームの古い呼称。
  • 製氷 - 人工的に氷を製造すること。明治時代の日本での製氷技術の発達は、氷菓子の発展と切り離せない。
  • ソーダ石灰ガラス - ソーダガラスとも呼ばれる一般的なガラス素材。
  • ウランガラス - 氷コップの色ガラスの一つとして用いられた。
  • 薩摩切子 - 薩摩藩において幕末に生産。のち途絶え、近年復刻された切子。日本を代表するガラス工芸品とされる。被せガラスのカットによる「ぼかし」は、独特の表現といえる。
  • 藤田喬平 - ガラス工芸家。色ガラスと金箔を混ぜた飾筥で琳派を感じさせる独自のガラス工芸分野を確立した。
  • 中島広吉 - 独自のゴールドグラス、マルティグラスを開発。初期のゴールドグラス「唐草模様大鉢」は第7回パリ万国博覧会(1937年)で、日本のガラス工芸では初めてグランプリを受賞。

参考文献[編集]

  • 蓑田猪太郎編 『硝子製造法』東京 博文館 蔵版 <工業叢書>、1903年(明治36年)
  • 石井研堂 『明治事物起原』橋南堂、1908年(明治41年)
  • 郡山幸男 『氷菓子製造法』飲食世界社、1910年(明治43年)
  • 石井研堂 『独立自営 営業開始案内 第三編』東京 博文館 蔵版、1913年(大正2年)
  • 畑中妙子 「明治大正のカキ氷用のガラス器」『嗜好』448号 明治屋、1970年(昭和45年) 42-51頁
  • 藪崎昭 『明治大正 ガラス 百八十三器』矢来書院、1976年(昭和51年)
  • 加藤孝次 『明治大正のガラス』光芸出版、1976年(昭和51年)
  • 藪崎昭 「明治・大正ガラスへの郷愁 雑器の美・職人の心」『ぎやまん・クリスタル・美の世界』学習研究社、1977年(昭和52年)、35-53頁
  • 『近代日本のガラス工芸 -明治初期から現代まで-』東京国立近代博物館、1982年(昭和57年)
  • 土屋良雄 『日本のガラス』紫紅社、1987年(昭和62年)
  • 岡泰正 「びいどろからガラスへ 和製ガラスの変遷、その情趣」『特集 ガラスと染付』読売新聞社 <The あんてぃーく Vol.7>、1990年(平成2年)、91-97頁
  • 藪崎昭 「ノスタルジーを誘う明治・大正のガラス器」『特集 ガラスと染付』読売新聞社 <The あんてぃーく Vol.7>、1990年(平成2年)、98-103頁
  • 『明治・大正のガラス』平凡社〈別冊太陽 骨董を楽しむ2〉、1994年(平成6年)
  • 『第23回特別展図録 ガラスの器 ~食卓のモダン~』大宮市立博物館、1999年(平成11年)
  • 『むかしガラスの器・明治以降の日本生まれ』文化出版局、1999年(平成11年)
  • 井上暁子 「「あぶり出し」技法による氷コップについて」 『特別展 びいどろ・ぎやまん・ガラス -江戸時代から明治・大正へ- 図録』 神戸市立博物館、2000年(平成12年)、134-137頁
  • 高橋岳志 『氷コップの夢世界』創樹社美術出版、2001年(平成13年)
  • 戸澤道夫 『日本のガラス その見方、楽しみ方』里文出版、2001年(平成13年)
  • 大森潤之助 『日本のウランガラス』里文出版、2008年(平成20年)

外部リンク[編集]