橋口浩二

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イベントの司会を務める橋口(2014年1月)

橋口 浩二(はしぐち こうじ、1966年[1]11月7日[2] - )は、宮崎県延岡市出身[1][3]競馬実況アナウンサー。担当は高知競馬場[1][2][4]

経歴[編集]

1994年から高知競馬の実況を担当している[1]。それまで競馬にはまったく縁がなかったという[1][4]

2021年8月、うっ血性心不全のため緊急入院し、一時実況から降板して休養に入る[5]。幸い予後は良好で、同年9月11日より実況に復帰した[6]

人物[編集]

  • 学生時代にバンド活動をしていた[1][2]
  • 高知競馬の発走ファンファーレを手掛けた[7][8]
  • 2003年、当時初出走から連敗中だったハルウララの連敗に気づき高知新聞に教えたのが橋口であり、のちに全国的なハルウララブームへと繋がっている[9]
  • 2010年11月7日の高知第7競走で、個人協賛レースとして「ファン一同協賛 橋口アナ誕生日特別」が施行された[10][11]。橋口はこのレースの実況及び協賛メッセージ読み上げを行い、応答として「本来、私は裏方の立場です。落ち着かない心地もあるんですが…あ、応援幕もありがとうございます。[12]全国の皆さんと声と言葉を使っての新しいコミュニケーションが取れる環境をとてもありがたく感じています。休日や夜間のふとした時間に「ああ、今日は夜さ恋ナイターだ」と楽しんで頂けますよう、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。」と、感謝の意を表した。

出演番組[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 橋口浩二「地方競馬への熱き想い」『ハロン』、地方競馬全国協会、1999年9月、35頁。 
  2. ^ a b c DJ INDEX 橋口浩二(FM高知) - ウェイバックマシン(2002年5月21日アーカイブ分)
  3. ^ パワスポ (2005年10月6日). “高知競馬場でデビューする2人の女性騎手”. 2010年11月14日閲覧。
  4. ^ a b 「高知競馬」という仕事 第2部 怒れる仕事師 (9) 流れに乗れば… - 橋口アナ「今一度、存在意義を考えて」”. 高知新聞 (2002年12月27日). 2012年5月31日閲覧。
  5. ^ 橋口浩二アナウンサーの休養について - 高知競馬・2021年8月20日
  6. ^ 高知初の1億円ホースのすごさと、記録を広報した人たち - netkeiba・2021年10月19日
  7. ^ 青木娃耶子「気分はNON TITLE (35)」『ハロン』、地方競馬全国協会、1997年7月、19頁。 
  8. ^ ファンファーレ”. 高知県競馬組合. 2012年5月31日閲覧。
  9. ^ 重松清『走って、負けて、愛されて。―ハルウララ物語』平凡社、2004年、106,124頁。ISBN 4582824439 
  10. ^ 出馬表|地方競馬情報サイト”. www.keiba.go.jp. 2022年3月23日閲覧。
  11. ^ 【競馬】ファン一同協賛 橋口アナ誕生日特別』2010年11月8日https://www.nicovideo.jp/watch/sm126828102022年3月23日閲覧 
  12. ^ この時、『橋口アナ 誕生日 おめでとう』と言う張り紙がなされていたため、このように反応した。
  13. ^ SUNDAY HIT 20 - ウェイバックマシン(2002年6月14日アーカイブ分)
  14. ^ 第14回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品『闇き南溟の彼方へ〜練習機「白菊」特攻隊〜』”. フジテレビジョン (2005年). 2010年11月20日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]