松永行
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| 名前 | ||||
| カタカナ | マツナガ アキラ | |||
| ラテン文字 | MATSUNAGA Akira | |||
| 基本情報 | ||||
| 国籍 | ||||
| 生年月日 | 1914年9月21日 | |||
| 出身地 | 静岡県 | |||
| 没年月日 | 1942年? | |||
| 身長 | 171cm | |||
| 選手情報 | ||||
| ポジション | FW | |||
| 代表歴 | ||||
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松永 行(まつなが あきら、1914年9月21日 - 1942年?)は、日本のサッカー選手。
目次 |
[編集] 来歴
フォワードを務め、100メートルを10秒8台で走る俊足であったという。東京高等師範学校時代、1936年のベルリンオリンピックに臨む日本代表選手に選出。本選第1回戦、当時優勝候補とされていたスウェーデン戦で、後半40分に相手ゴールキーパーの股下を抜く逆転ゴールを決め、のちに「ベルリンの奇跡」と謳われる歴史的快挙の立役者となった。
オリンピック後に起こった太平洋戦争のため陸軍に従軍、ガダルカナル島で戦死したとされている。
のちに同じく日本代表選手としてプレーした松永信夫、碩は実弟にあたる。また、甥っ子に大学生時代に天皇杯全日本サッカー選手権大会優勝した松永忠史がいる。
ベルリン五輪で松永が着用した日本代表のユニフォームが今日まで残っており、現存する最古の代表ユニフォームとして秩父宮記念スポーツ博物館に保管されている。
[編集] 提言
ベルリン五輪終了後、松永はスポーツ誌『体育と競技』に寄稿した「オリムピック蹴球の回顧」と題した記事の中で、将来の日本サッカー界を担う後輩たちに対して提言を残している。
『さて日本蹴球は、果たして世界のレベルに達してゐるかといふ疑問は自然起る。前述の如く、精神的方面に於ては断然世界レベル以上だ。して又スピードを持ったショートパスに於てもレベル以上だ。このショートパスに関して、独逸の或権威者は、これだけは日本より学んだと言ってゐる。
これだ、ショートパスの速攻法をあくまでも伸ばし、之に加へるに遅攻法をとり、緩急よろしきを得て、始めて日本蹴球の完成の時は来るのであると同時に、この時こそ世界蹴球覇者たり王者たる時なのである。
個人技を練磨せよ。
これこそ日本蹴球人に輿へられた唯一の課題なのである。』
(大日本体育学会編、目黒書店発行 『体育と競技』 v.15 no.11 1936.11 p.69-72)
[編集] 所属クラブ
[編集] 代表歴
[編集] 出場大会
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 2試合 1得点 (1936)
| 日本代表 | 国際Aマッチ | その他 | 期間通算 | |||
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| 年 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
| 1936 | 2 | 1 | 2 | 0 | 4 | 1 |
| 通算 | 2 | 1 | 2 | 0 | 4 | 1 |
[編集] 関連項目
- 松永章 - 同姓同名(同音異字)のサッカー選手(フォワード)。藤枝東高出身。日本代表としてモントリオールオリンピック予選などに出場した。1948年生まれ。
- 中山雅史 - 藤枝東高から筑波大学という、松永と同じ経歴を持つサッカー選手(フォワード)。1998年ワールドカップフランス大会において、同大会で日本人選手として初めてゴールを挙げた。
[編集] 外部リンク
- 独立行政法人日本スポーツ振興センター・スポーツ博物館
- ガダルカナル奪回作戦・陸軍の部隊編成表 - 歩兵第230聯隊の名簿に松永の名がある。
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