成王 (周)

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成王 姫誦
西周
第2王
王朝 西周
在位期間 前1021年? - 前1002年?
都城 鎬京
姓・諱 姫誦
生年 不詳
没年 前1002年?
武王
邑姜
※一説では少子(年少の子)とされる

成王(せいおう)は、周朝の第2代の王。武王の子。「成王」というのは諡号ではなく生前からの称号である。

同母弟はの開祖の唐叔虞[1]。他に邘叔、応叔、韓叔ら兄弟がいた[2]

易姓革命後、わずか2年で崩御してしまった父の武王の後を継いで即位する。

当時はまだ周の政治体制は安定しておらず、殷の帝辛(紂王)の子の武庚(禄父)や成王の叔父(武王の弟)たちの謀反などが相次ぎ、国情は極めて不安定であった。

成王誦は即位した時はまだ幼少であったので、実際の政務は母の邑姜、叔父の周公旦、太公望呂尚召公奭の開祖)らが後見した。

成王が成長すると、自ら政務を執るも、『史記』周本紀によると、若くして崩御したと記されている。

子の釗(康王)が後を継いだ。彼の代までが周の確立期であった(成康の治)。

脚注[編集]

  1. ^ 史記』晋世家より。
  2. ^ 春秋左氏伝』より。