共和 (周)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

共和(きょうわ)は、厲王が逃亡してから宣王が即位するまでの期間を指す。この共和元年から『史記』の十二諸侯年表が始まっている(すなわち、史記の中では最古の年代の記述となる)。西暦では紀元前841年から紀元前828年までとされている。

特徴[編集]

『史記』周本紀によれば、の厲王が国人の暴動により出奔を余儀なくされて王が不在となったとき、周定公、召穆公の二人が政務を執り、共和と称したという。また、共伯和(共伯の爵位を持つ、和という名前の人物)が政務を執ったともいう。共伯和については、時期から推測して武公であるとする説もある。

この時期には、王がおらず、諸侯の合議で国政が運営されたため、近世に入り、日本人はこの語『共和』を、同様に王がおらず、貴族・議員等の有力者の合議で国政を運営する欧州の「res publica」を指す語としても使用した。こうして意味が拡張された『共和』という語は、中華文明圏全体に広まり一般化し、現在では更に意味が拡張・普遍化され、地域や時代を問わず、世襲権力者がいない政体を指して共和制と呼ぶ。