心光院 (東京都港区)

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心光院
所在地 東京都港区東麻布1-1-5
位置 北緯35度39分29.5秒 東経139度44分40.5秒 / 北緯35.658194度 東経139.744583度 / 35.658194; 139.744583座標: 北緯35度39分29.5秒 東経139度44分40.5秒 / 北緯35.658194度 東経139.744583度 / 35.658194; 139.744583
院号 心光院
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
創建年 明徳4年(1393年
開山 聖聡
公式サイト 浄土宗 心光院
法人番号 4010405001381 ウィキデータを編集
地図
心光院 (東京都港区)の位置(東京都区部内)
心光院 (東京都港区)
心光院 (東京都港区) (東京都区部)
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心光院(しんこういん)は、東京都港区にある浄土宗寺院増上寺の別院として栄えた。

歴史[編集]

1393年明徳4年)、聖聡によって開山された。元々は増上寺の寺内にあったが、1761年宝暦11年)に惇信院(徳川家重)の廟を造営するために赤羽橋付近に移転した。1950年昭和25年)に現在地に移転した[1][2]

境内には、「於竹大日如来」を祀る小堂がある。於竹大日如来は、江戸時代初期の人物で、本名「竹」(以降「お竹」とする)といい、佐久間家の奉公人であったが、自分の食事を貧しい人に施し、自分は流しの隅の網にかかった飯粒を食べるなど、つつましく信心深い人物であった。いつしか、お竹は大日如来の化身とされるようになった。お竹の死後、徳川綱吉の生母桂昌院は、お竹を称賛し、お竹が使ったとされる流し板を当院に奉納したという[3]。お竹の墓は東京都北区善徳寺にある。

文化財[編集]

国登録有形文化財
  • 本堂
  • 表門
港区登録有形文化財
  • お竹流し板

交通アクセス[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 東京市麻布区 編『麻布区史』東京市麻布区、1941年、850p
  2. ^ 心光院トップページ心光院
  3. ^ 山折哲雄 監修、槇野修 著『江戸東京の寺社609を歩く 山の手・西郊編(PHP新書)』PHP研究所、2011年、206-207p

参考文献[編集]

  • 東京市麻布区 編『麻布区史』東京市麻布区、1941年
  • 山折哲雄 監修、槇野修 著『江戸東京の寺社609を歩く 山の手・西郊編(PHP新書)』PHP研究所、2011年

外部リンク[編集]